革命じいさん、ジプシーばあさん

 昔むかしおじいさんとおばあさんが小さな小屋に暮らしていた
 おじいさんは元は革命戦士でおばあさんは名前のないある部族の娘だった。
 おじいさんの骨ばった手は強く、引き結ばれた唇の端には数え切れないシワが浮かび
 おばあさんの黒い瞳は大きく深く、今も美しく何時間見つめていても飽きない
 

 おじいさんは朝目が覚めて無言のままで、
 今では名前も失われてしまった風の神様のために小さな木片を燃やして
 おばあさんは朝目が覚めて二人のためにアルセッタの葉の入ったスープを温める
 いぶされた茶の葉のような匂いが小さな小屋に広がって
 遠く山脈から獅子の形をした雲がそわそわするようになだれ降りてくる


 日が高く上る前に二人は森へ向かい
 頬をこすり合わせる別れのおまじないをしてから森の入口で分かれる
 おじいさんはその大きな体を窮屈そうに折り曲げながら薪となる枝を広い集め
 おばさんは森の中にある小さな畑でもうすっかり黒くなった手のひらで雑草を抜き種を撒く
 

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 トエミス・ラファラス・アーダマス
 女神の降らせた雨を飲み 従順なる君ら、子犬よ
 明日コンクリートの下に打ち付けられた革命戦士たちのなきがらの上にガラスを強いて
 その上から動く歩道を作ろう
 化石のようなコキュートスに敷き詰められた共産主義者という名の悪魔を下に
 セラフたる我々はipadで株を数える
 羽はいつでも純白でなければならない
 押し寄せる愛情を瞬間より早いスピードで、窒素を液体にするほどの温度で冷却するほど
 冷たい純白でなければならない
 「与えられたメディアによる価値観」
 に反抗する熱情的な疾走こそがいつも型どおりになるのはなぜ?
 宇宙の外には外宇宙、私の心に内宇宙
 燃やすコスモが枯渇したときにどんな代替エネルギーを使ってセイントはお嬢様を助けるだろう
 彼は「漫画雑誌のために生きている連中」を小ばかにして笑うために生きている。
 彼女は「インターネットに魂を奪われたおろかな連中」を愚かだと嘆くために生きている。
 そうした負の感情が束ねられたときに誰かの役に立っているのだとしたら?
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 例えばネガティブな言葉に反応して自動的に慰めを送るAIが発達したりして、
 開発者の考えたパターン1028
 「私も今日嫌なことがありました、でも明日もそうとは限りませんよ、頑張りましょう?」
 の言葉に現実的に人が救われたとして。
 それなら背徳者の作った楽器を聖人が弾いて感動が生まれるのも分かる。
 それなら冒涜者の作った詩を聖人が読んで君が泣くのも分かる
 すべてを疑うなら疑う自分も疑うべきだ、
 というその「べき」という義務的な考えも疑うべきだ、という無限ループ。
 局地的存在になろう。
 グーグルマップを一番拡大したときのような局地的な存在になろう。
 環境破壊は環境破壊の神ポリューシャスと環境保護の神エコロジスの戦いなのでありそれを崇めよ。
 偶像ではなく
 偶地球崇拝
 我々の乗っているのは
 宇宙蟹工船地球号
 絶対を求める精神の拡張の幅の広がりと、唯物論的観念の限りない拡散が
 ある意味総合したベクトルの下で釣り合っているとしたら?
 「エントロピーは拡大する」
 というその言葉は拡大されないまま過去から今までずっと変わらないまま。
 絶対的に教化し啓蒙しなければならない。
 教育とはたんぱく質を人間に変える錬金術なのである。
 しかし何を教えよう。
「食べればおなかが膨れて生きていけます」
「寒いときには家を建てて服を着ましょう」
「硬くして入れて発射すれば子供が出来るのです」
 他に真実は?
「全ての真実は紛れもなく真実であるが、すべての真実ではないものは虚偽に他ならない」
 100円ショップでそれも値引きされるような言葉だな。
 円は強い。エンクルマよりも強い。
 1960年代が既に50年前であることを思うのなら、
 2060年代の人々が今の世代をどのように懐古するかを考えるべきだ。
「ああ、2010年代には何も変わった事がなかったな。今もあまり変わったことはないけれど」
 懐かしいのはいつも昭和。
 虚無とされくりぬかれる平成。
 その時代は歴史からなかったことにされる。
 その当時に生きていた人々の意味は抹消される。
 そうだ、平成なんていう時代は初めから 
 なかったんだよ
 なかったんだよ