明日の記憶

『ねえ、本当に覚えていないの?明日のことを。
 あなた、わたしにプロポーズするじゃない。
 そうよ、するのよ。本当に忘れてしまったのね。
 でもいいわ、どうせ明日そうなる事は分かっているから。
 ――仕方ないわね、どうすればいいかちゃんと教えてあげるから、間違えないようにしてね?

 
 まず、朝起きたらきちんと身なりを整えて、一番のりの効いたシャツを着て家を出るの。
 途中で鳥や、花や、ソーセージ売りのボロニーにも挨拶して、
 ご婦人たちに出会ったら、めんどうくさがらずに帽子を脱ぐのよ?
 あなたは少し緊張しているとおもうけれど、間違えないように、大通りからワルトヒンド通りに入るの。
 アルテコの花屋によって、『求婚』の花言葉のカルセオラリアを買いなさい。


 それから、私の家の扉をノックしてね。
 かまどから、パンケーキが焼ける良いにおいがするでしょう。
 あなたはミトンをはめたまま戸口に現れた私を大慌てで抱きしめるの。
「どうかした?なにかあったの?」
 そう聞く私に、あなたは花を差し出すの。
 私は花言葉を知らないフリをして、「まあ、綺麗な花」


 それから二人でパンケーキを食べましょう。
 おなかが膨れたたら、セリマ広場の近くの丘の上にのぼるのよ。
 そこであなたは私にプロポーズするの。
 どんな言葉で、かって?
 それは・・・教えてあげないわ。
 一晩かけてゆっくり思い出しなさい。』
 

 翌日は雨だった。
 それでも僕は、何もかも彼女の言うとおりにして、最後に丘の上に上って、
『僕と結婚して欲しい』と言った。
『さようなら。』
 きびすを返すと、彼女は濡れるのもかまわず、一人で丘を下っていった。
 

 僕は今でも考える、彼女はただ、僕との関係を終わらせたかったのだろうか。
 それとも、プロポーズの言葉が間違っていたのだろうか。
 もしくは……思い出せなかったのだろうか。
 あるいは……彼女は自分がそれを断ることを知っていながら、あの話を僕にしたのかもしれない。
 あの日のような雨、窓の外を見ながら、僕はやはり明日のことを思い出せない。