風と旅人

 我々があまりにスピードに固執するために、地球も回転を早めてしまった。
 自転・公転の速度がともに上昇し、一日は18時間ほど、一年は10ヶ月ほどに減少した。
 ところが人間の睡眠のペースは中々変わらなかったために、
 我々は各所で様々な混乱を起こすことになった。

 
 それはさておき、毎日身体に感じる一番の変化と言えば、風が強くなったことだ。
 海風の強い日本などでは、毎日突風に煽られながら過ごすことになった。
 男性にとっては残念で、女性にとってはしごく当たり前のことだろうが
 スカートを履く人はいなくなり、学校の制服は女子もズボンへと変化した。
 履こうと思っても常にまくれあがり、満足に歩けないためだ。
 また、傘の使用は不可能となった。
 最初のうちは骨をチタンで強化した製品が出回っていたが、結局とばされ、
 あちこちでゴミ問題や怪我のもととなったためである。
 レインコートも風に煽られるので、今ではぴったりとしたレインスーツが雨具の主流となっている。


 電力問題が解決したことは不幸中の幸いと言っていいだろう。
 各地に立てられた風力発電機が信じられないスピードで電力を生み出し、
 日本はおろか電力を最も使うアメリカでさえ風力のみで全電力をまかなえるようになったのだ。
 他にも飛行機がとばなくなったり、鳥が地面を歩くようになったり色々あったわけだが、
 一番の変化は人間の心に起こった。
 僕たちは旅をするようになったのだ。そう、風のように。


 それはすぐに統計の形で明らかになった。旅行者の増加は右肩上がり。
 ところが強風の影響で、その頃はまだ日本と海外はおろか、
 中国にさえも渡ることが出来ない状態だった。
 船?波がひどくてそれどころじゃない。潜水艦でさえ危険だった。
 波の影響の少ない入り江で海中へ、海中を移動してまた入り江で上陸。
 やがて風の影響が少ない空域が観測されて、ようやく中国、韓国との旅行が実現したのだが、
 このときの飛行機の予約はあっというまに3年後まで一杯になった。


 これは日本人だけに起こった現象ではない、世界中でそうしたことが起きていた。
 風に誘われ、人類は旅をする動物になった。
 宗教を持つものはまずは聖地を目指した。歴史の好きなものは史跡を巡る。
 もはや歩けなくなった老人たちまでが、リハビリを開始し、
 芭蕉のたどった奥の細道へと出かけて行き山で遭難する事件が相次いだ。
 政府高官から行政役人に至るまで、週末ではあきたらず、
 これまで使われなかった有給休暇の残量はあっというまになくなり、
 週休三日制が国民の義務となるころには、
 日本人のほぼ9割が47都道府県全てをめぐる経験を持っていた。

 
 いまだ太平洋の横断は不可能だったが、多くの人々が中国から初め
 ユーラシア、ヨーロッパ、アフリカまでを巡った。
 金の無い人々のために金持ちたちが宿場町を世界中に創った。
 イスラームの人々は特に積極的だったし、キリスト教会は旅人の宿として開放された。
 僕たちは延々と旅を続けた。
 18時間の短い一日の中で、日の出を、日の入りをなんどこの目に焼き付けたのだろう。
 いさかいはあちこちで起きたが、旅人たちは概して寡黙で、
 気の合う友人とは酒を酌み交わし、理解は進んでいった。
 どの語族にも属さない、非常に簡易だが心が深く通じる旅人のための言語も作られた。
 語数は多くないので翻訳機があればすぐに誰とでも話すことが出来た。
 ミュージシャンたちは旅人の歌をこぞって作曲し、世界中でそれが謳われた。
 我々の苦悩と、戦争と、貧困までもが解決され、
 しかし訪れたのは文明の発展した未来などではなく、
 世界中が旅人となる、そうした地球だった。

 
 インターネットは忘れられ、遠くまで響く笛で意志の疎通を行い、
 何にせよ今日あった旅人はすべて友人だった。
 僕はこうして、一生旅をすることが出来たら嬉しい。
 死ぬまで、その瞬間まで歩き続けられたらいい。
 最後によりかかる樹が僕の墓標になるだろう。
 願わくばそのとき、美しい夕陽が見られますように。


 今日も風が強い。君は今どの辺りを旅している?