神の国、日本

 日本の少子化はどんどん、恐ろしいペースで進み続けました。
 けれど日本人の島国根性は、結局移民を受け入れることは出来ませんでした。
 終わらない摩擦と数え切れない悲しい出来事の果てに、
 結局日本は再び鎖国への道を歩んだのです。
 人口はどんどん、どんどん減少していきました。
 23世紀になる頃には、日本人と呼ばれる人は既に2000人ほどしか残っておらず、
 その頃ピークとなっていた地球温暖化によって海面上昇が起きており、
 東京湾の海岸線は大きく進行して23区は水浸し。
 けれどなにぶん人口たったの2000人の日本です。
 そのうち500人ほどが東京に住んでいましたが、
 全員が無事に多摩地区に非難したため問題も怪我人も出ませんでした。


 20世紀ごろ作られた建築物はあっというまに老朽化して、
 それ以前に作られた木造の建物より早く朽ちていきます。
 木々はアスファルトを突き破って伸び、
 かつてのニュータウンの団地はいまや森に覆われて、
 ベランダへの窓を突き破って大木が顔を出しています。
 つる草はビルを覆って、屋上にも木々が伸び、新しい生態系が作られました。
 500人の東京都民は、そこら中になっている果物やキノコを食べ、
 ときどき杉並区まで進んでいた海岸線を歩き、
 吉祥寺あたりでコンブや貝を拾ったり塩を作ったりして生きていました。


 練馬の団地の森はまるで迷宮で、
 一度迷い込めば二度と出られなくなるとうわさされていて、
 お母さんたちは子供に行かないようにと厳しくいいつけました。
 中央線の直線の線路だけはつる草を払いのけられて、
 さび付いたトロッコに貝や魚が乗せられて村まで運ばれます。
 貨幣はそれらの貝殻が用いられましたが、何せ500人では商業もすすみません。
 政治的な理由からではなく、鎖国を続けていた日本は、
 いまや価値がなくなったことで海外から無視されています。
 ときどき野鳥や植物学者がヘリを飛ばして来るぐらいで、
 他には誰も訪れませんでした。
 

 その頃、暗い森の奥で、または夜の闇の中で、
 近代社会に隠れ住んでいた妖怪たちが、再び戻ってきたのです
 子供たちだけでなく、大人たちも妖怪を頻繁に見かけるようになり、
 甲州街道、青梅街道や国道一号線でも終末ごとに百鬼夜行が行われ、
 とうとう人間もそれに参加するようになって歓迎されるようになりました。
 お盆ともなると、先祖の霊たちが次々と訪れ、あちこち騒がしいし、
 10月の出雲などは八百万の神によって瀬戸内まで続く渋滞になりました。
 

 日本という国がとった鎖国政策とは正反対に、
 神様の世界では、地球の近代化もあいまって、この森につつまれた日本が
 世界で最もオープンで居心地のよい土地となっているらしく、
 国内だけでなく海外からも出雲へと集まるようになりました。
 まずは縁の深いヒンドゥーサラスヴァティーゾロアスターのイームといったところから、
 ワルキューレダヌの神、ケツァルコアトルやテスカトリポカ、
 名前の失われた神々までもが押し寄せて朝から晩まで大宴会。
 人間はお神酒をこしらえるだけでも一季節を使うほどで大忙し。


 そんなことが続いたものですから、日本は現実と霊的世界の狭間へと移動して、
 残っていた人口2000人も、皇族の血が入り混じって神格を得ていたためか、
 いつのまにか半神化していきました。
 すると、世界地図にも変化が起こり始め、日本は段々と薄くなって消えてゆき、
 いつかのアトランティスムー大陸のように、
 幻の国として伝説に謳われる、そんな場所になったのです。
 朝鮮半島の先には、中国の海岸線の先には太平洋が広がっているのです。
 港の猟師たちは、10月になると、ときどき海の彼方にかがり火を見ることがあるそうです。
 それは今は失われた幻の日本の、今も続く祭りの炎なのだとおとぎ話は語ります。

 
 遠い昔に誰かが望んだように、日本は神の国となりました。
 もはや誰の侵略を受けることも、代わりに誰も侵略することもできなくなりました。
 第三金曜日には環八から湘南までをうめつくす百鬼夜行に、
 止めるパトカーもなく、妖怪や神々とともに僕たち日本人の末裔が踊りながら歩いていきます。
 電気の代わりに鬼火のともるファミリーレストランの廃墟を、
 さび付いたガードレールの上を天狗は軽々と飛び回り、
 群青に映える月を眺め、コンビニ跡の屋根にこしかけて、
 僕らの遠い遠い子孫が笛を吹き酒天童子と酒を酌み交わしています。
 舞えや、躍れや、神楽を奏で
 今宵は祭りぞ、ことほぎ歌え


 そうして日本は、現実ではなく、ある一つの現象になりました。
 けれど大丈夫、伝説に歌われる限り、
 誰か一人でもその幻の国の名を覚えている限りは、
 百鬼夜行は今週末にもまた続く。
 舞えや、躍れや、神楽を奏で
 今宵は祭りぞ、ことほぎ歌え


 君も少し、月を眺めて外を歩いてくるといい。
 窓の外からお祭りの神楽が聞こえないだろうか。