大学初日の冒険あるいは境界線上の蟻

 眠いけど忘れてしまわないうちに、記念すべき大学授業一日目についてちょっと詳しく書いておこうと思う。……思い返してみると、そんなに大したことはしてないんだけれど、自分としては本当に印象に残る一日だった。時間割が中々決まらず、寝不足のまま大学へ自転車をこぐ。かと思えば初めての授業は教授が連絡なしに無断欠席……「教授が来ないと休講になる、という事例を身をもって教えてくれているんだよ」という冗談でクラスは笑う。語学クラスは先日のオリエンテーションでそこそこ仲良くなっていたので、そのまま時間割決めの情報交換や相談会が始まる。文科なのだけれど、多くの人がガチ理系の教科を受講することに驚く。選択がバラけすぎてて協力体制が組めないとか。


 昼食後に記念すべき初授業。科目は哲学。ガイダンスということで教室は立ち見が出るほどの大混雑。読書と授業というのは驚くほど違う、ということが身にしみて分かった。僕は、確かに講義は面白いけれど、情報量は読書の方がずっと短時間に多くのことが吸収できるから、意欲さえあれば本での独習は講義に勝る、と思ってる部分もあったけど(あくまで部分)実際は結構違うのかもしれない。説明の道筋と理解、タイミング、教授の表情や声のニュアンス、身振り手振りも情報となって、理解を促進する。それにそれらの情報は、内容の記憶を体にしみこませるという気がする。知識が文字通り『身につく』という感覚。段々とそうした感覚も新鮮さを失っていってしまうのかもしれない。でも今のこの感覚を、在学の間、さらにその先までも覚えておきたい。多分コミュニケーションっていうのは、ただ黙って講義を聴いているときでもちゃんと存在している。
 (それは読書でもそうなのかもしれない。慣れてしまって忘れているだけなのかも)


 「語ることと耳を傾けることは究極的には同じことなのだ」(ル=グウィン『ファンタジーと言葉』)


 とにかく、二年間の独習(その前の二年間も机の前で一人の作業がメイン)をしてきた僕には、口頭での授業というのは本当に久しぶりで(というか初体験に近いくらいに感じた)とても新鮮で、ショッキングであり、その力を強く感じたのです。


 昼食時間中にふらふらと入った生協の図書館。目当てのものがなくても、ついついここに立ち寄ってる自分がいる。そういやまだここで一冊も買ってないのに、もう十回くらい来てる?今日はそこでふと目にとまった一冊、ジョン・ロールズの『正義論』ちょっと前に @minority さんが美学についてのツイートしていたのを思い出した。その本の装丁の美しさを『普遍的美とはこのことだったのでは』―それは冗談である、と断り書きがされていたのだけど、僕はその一言がとても好きで印象に残っていた。美しい、という言葉は、何かをいとおしい、と思う気持ちとつながっているように思う……「慈しむ」と「美しい」の語源はもともと「うつくし」で同じだったり。僕も今まで何度も「はてしない物語」のあかがね色表紙をなでて、幸福や勇気を感じていた。結局そのときも本は買わずに外へ出たのだけれど、その日の五限のゼミのガイダンスでまたも縁を感じるような出来事が起きた。数回で講師が代わるリレー式の授業なのだけれど、教授陣の一人が『最近ロールズの翻訳がようやく終わりまして……』なんとその方はさっきの正義論を翻訳した人の一人だった。


 ガイダンスの後に、教師と生徒の懇親会があって、その先生とも少しお話が出来た。他にも自分が昔していた活動と縁のある人も。ゼミの負担は一年生にはおそろしく大きく、たとえばハーバードのサンデルの授業で使われる教科書を読むとかいうもはや無理ゲーなのだけど、それでも受講の意思は固まった。だらだらと大学生活を楽しむために受験したのではない、この授業はきっとそれを忘れずにいさせてくれる、と思います。ハードルをなるべく上げる、さもないと僕はすぐ楽な方へ逃げる。ロールズも……その先生の授業がある五月末までにはなんとか読むつもり。


 そんなこんなで九時近くまで学校にいた。家に帰ってから、あたふたと友人の出演するクラブ・イベントへと出かける。胸は学習への期待で高鳴る。かなり久しぶりのクラブで、大音量に少しのめまい。本当は、クラブ・イベントというのはあまり好きではないんです。ライブは別だけど、音楽にあわせて延々と踊ったりするのは疲れるし、あちこち歩いて知人とはいえちょっと話して、みたいな行動は苦手……アメリカの(多分ヨーロッパも)パーティなんかもずっと苦手だった気が。少人数でないと会話がうまくいかない。まあお酒を一滴も飲まないってのが最大の理由かもしれないけど。新歓のコンパをどう乗り切るか――まず飲まない人間を見つけるのが大事。最初にビールを頼まなかった人をめざとくチェックする。


 そうは言っても友人のライブは素晴らしかった。ヒップ・ホップ・ミュージックはCDではほとんど聴かないけれど、こうしてライブで聴くととても楽しい。そして「心をひとつにしよう」というメッセージ。これがたとえばTLに踊っていると、違和感や反発をまず最初に感じてしまう。けれど、そこで―ステージと客席という(即席でも)関係性と約束が生まれると、同じ言葉でも全く違う意味になる。何かで読んだけど、指揮者バーンスタインは演奏会で第九を演奏して、その後思い出したように観客へ平和について語って、『全ての』聴衆が彼に賛同したという。詩はそれが読まれるために適切な場所と文脈、聴衆を必要とする。それも含めて詩(または語り)なのだと思う。これは魔法とか神話の儀礼とかにも通じる?ともあれ、普段は疑いと違和感の塊である僕は、ステージ前に張り付いて盛り上がってました。夜も更けてあるDJがアニソンをかけると、コスプレイヤーたちが嬉しそうに踊りだす。音楽のジャンルが変わると踊るメンバーも変わる。ハレハレとアクエリオンを熱唱すると隣にいる人と友達に―これもまた関係性。


 帰宅の途中で色々なことを思う―それらは自分がずっと考えてきたこと。一つは「楽しさ」の普遍性。アニソン歌って盛り上がって、隣の人とニコッ、とするときの感じは、例えばイチャつく恋人を見て「爆発」と思うのと違って、広く共有できて、マイナスの要素が少ないように思う。というのは、多分子供のころの遊びと重ねて見ているから。そこでの踊りとその共有の楽しさって、恋愛でもなく、例えばカラオケ(あれは高度に社会的・社交的な遊びだと思う)よりももっと子供っぽくて、ケイドロとかやってる楽しみに近いような。


 昔、ちょっとおミズな感じのバイトをしてたけど、そこでも酔っ払ったお姉さんが、お絞りをぶんぶん振り回して踊っていて、とても楽しそうだったのだけれど、飲み物を運ぶ僕には彼女がまるで子供っぽく見えた。これは馬鹿にしているのではなく……馬鹿高いお金を出して、高級なお店に来ているのに(あるいはクラブという―高校生では行けない―いくらかは『大人』の世界でも)楽しさを感じるポイントは小学校就学前のそれと結構つながってるのかもしれない、ということ。


 次に思ったのは「回復」ということ。大江健三郎は、昔の災害についての講演会で「人間とは回復するものである」と語っていた。他にも「快復する家族」「治療塔」のタイトルや、「取り替え仔」の中でも回復は大きなテーマ。知的障害を持つ息子の光さんが、音楽の才能を開花させたことで、「回復」する、という話だったと思う(うろ覚え)


 考えは児童文学へと飛ぶ、ファンタジーは基本的に「ゆきて帰りし物語」つまり[日常⇒冒険⇒日常]という黄金の形式がある。ホビットからはじまり、指輪物語ナルニア、ゲドも、はてしない物語も、ハリーポッターもそう。必ず家に帰るでしょ?あれが重要。この「行って帰る」という行為は、ここでの「回復」と言い換えることが出来るかもしれない、と思ったところで、例えば「西の魔女が死んだ」や、今読んでる「ミオよ、わたしのミオ」で、悲しみや欠落、痛みや傷を抱える主人公が「回復」する場面の素晴らしさを思い返す。たった一瞬の、ほんの一言の、しかし真実からの(これが難しい)肯定。これが傷を過去のものとする。おそらく傷や問題はそのまま残っている、けれどすでに致死的なものではなくなっている。その瞬間の記憶は、客観的には小さなものでも、その人にとっては生命の源となるように思います。
 (僕自身の経験でもあります。自分も何度も「冒険」を経て…大学もまた一つの「冒険」なのでしょう。僕は自分の人生を一つの物語だと強く考えています。そう思うようになってから、死を怖れ嫌悪しなくなったかも―良い本はありあまる満足とともに閉じられる。最期の息がその満足のため息のようであればいい)


 そうなるともはやそれは「回復」という言葉の印象に収まらず、「再生」とか「生まれ変わる」といったものにも思えてきます。(過去の自分への哀悼も忘れずに)例えばある人が、この日初めてコスプレをして、初めてクラブに来て、ドキドキしながら慣れないお酒を飲み、知り合いも少なく話せないのだけれど、そこで知っているアニソンがかかって、踊ると周りの人と話すきっかけが出来て、そのとき、自分でも気がついていなかったような傷が回復するというストーリー。自分はすぐにこうした物語を想像してしまって…まあそんな誰かの設定は失礼極まりない話だし、またそんな純粋な心があったとしても、すぐに慣れて汚れて忘れられてしまうに違いないのだけれど、、、やはりその瞬間には、火の玉を放つとか、空を飛ぶとかよりも強い魔法であって…儀礼とかだってきっとそうかも。ハレとケとか、祭りとか。僕は精神医学のことなんて全く知らなくて今から無責任なこと言いますけど、ほんの一瞬で傷ついた心が回復するってことがありえると思う。そうだとしたらそれは魔法と言って差し支えないだろう。ファンタジーが子供だけのものでなく、大人に対してもリアリティを持つ、ということの一つはそこにあるように感じます。
 (ほむらがまどかを得たときのあの喜び。そしてそれを奪われたときに生まれた世界を敵に回しても揺るがない強靭な意志。)
 

 そして三つ目(これが最後!)に思ったこと。それは「境界線」について。おそらく、僕が9時まで居た、正義論の話が交わされていた大学の教室と、10時から居た繁華街のクラブという場所の間には、かなりの断絶があったように思います。距離ではなくて、場や人間の距離、または壁・境界。それぞれの場所に来る人々が、棲み分けのように互いの領域へとは踏み込まない……この境界をなるべく歩く、というのが僕の創作での(もしかすると人生での、にもなるかもしれない)テーマの一つで。以前韓国を旅行したときも、ソウルのメイド喫茶 ⇒ 米軍基地建設のため破壊された村 ⇒ 韓国現代美術館めぐり ⇒ 高校生の演奏するライブハウス ⇒ 元従軍慰安婦の話 とまあ、意図的に行ったり来たり。


 確信を持ってしっかりとはまだ言えないのですが(あるいは『物語』なら表現できるかもしれない)この別々の世界を結び合わせる、というのはとても重要なことに思うんです。別にクラブで正義論を語れってんじゃないですよ(それはそれで面白いかもしれないけど)例えば『カラマーゾフの兄弟』では、三兄弟の世界ってのはもう完全に断絶してる。でも血がそれを結びつける。バフチンが言ったという(未読)「ドストエフスキー=ポリフォニック(多声)な小説」というのは、多世界、多越境、とも言えるんじゃないかなー、などと考えて。もっと多くの人が、もっと沢山越境したらいい、なんて無責任には感じるのです。自分は、変化しなければならない、いつも死んで再生しなければならない、正直そんな強迫観念におっかけられているような気もします。大学合格でどうやら四年は大丈夫そうですけど。


 なんか終わりがしまりませんが、話したいことも尽きたのでこのあたりで終わりに。うまく伝え切れてないと思いますが、とても特別な一日だったんです。特に境界線の話がそうなんですが……そこが一番残念な内容だな。会う機会がある人は直接話しましょうそのうち。