10月4日 トークセッション

 10月4日に開催された第三回のトークセッションの記録です。今回のお題は
・思想地図βvol.2 『災害の時代と思想の言葉』(P94〜)
レヴィ=ストロース『悲しき熱帯』第四章「力の探求」
 の二篇。ここでは主に前者についての話について書いています。


■①「言説的なエリート」 P96■

・ここでは、宮台真司の言説の「転向」について述べられている。以前彼は「官僚主義的エリート」=一部のエリートが世の中を動かし、一般の人々はまったり生きていけばいい、という言説を持っていた。しかし、ゼロ年代に入ると彼は『権力を疑い、それに抵抗する市民社会と共同体が必要だ』と主張するようになり、3.11後は原発を含め権力に対する「煽り」を展開するようになった。東は「素朴な共同体主義・左翼的な運動主義」に回帰したように見える、とこれを評した。

・これに対して参加者から、「実は宮台は一貫しているのではないか」という意見が出る。そのキーワードは「エリート主義」というもの。以前の彼は「政治的なエリート」を支持していたが、その後は自らも含めて「言説的なエリート」を支持する、という変化なのではないか、というもの。

・僕達は「エリート」と言えば政治・あるいは財界の権力を持つ人々を一番に想像する。しかし、一般に「知識人」とされる人々。様々なメディアで、一般的な言説に異を唱え、それが一定の支持を得られるような「言説的な力」を持つ者を「エリート」として見ることが出来るのではないだろうか。


◇「震災に対して僕達に出来ることは何か?」という風に考えたとき、大きなものでは「寄付する」「直接・間接的にボランティア活動をする」「デモに参加する」「ネットなどで情報を拡散する/集める」という程度にしか選択詞がないことが問題ではないだろうか?例えば自分自身で新しい行動を立ち上げ……とすることはとてもハードルが高い。


■②反権力のカルチャー■

・例えば原発に反対するデモなど、「権力との闘争」という行動を考えたとき、そのカルチャーが左翼的なのか、あるいは左翼の行動もそのカルチャーに支配されているのか、というのが分からなくなる。「右からの脱原発デモ」も、あるいは「ノンポリ」のデモも、これまで左翼がやっているものと変わりがない。そもそも「デモ行進」や「座り込み」という行動=カルチャーが左翼に強く結び付けられているのでは?

・ル=ボンの言葉に「多くの人が行動しようと集まった場合、実際に行動として移せるのはごく限られた『頭の悪い』ものだけになってしまう」
 ⇒例えばデモ行進、騒乱、喝采、といった単純なもの。

カート・ヴォネガットの言葉を引用すると、『天使は悪魔に勝利することも出来る。もしもかれらがマフィア並に統率されていたとしたら』
 デモのような群衆がまるで軍隊のように動くことは想像できるだろうか?

・あるいは、デモに集まったような群衆は今述べたような「単純な行動」と同様に、言説においても「単純な言説」しか持ち得ないのではないのだろうか?そしてそれは、様々な思想の持ち主が集まっている以上、間違いなく左翼的なたった一つの言説になる。「右からの脱原発デモ」では、野村秋介の言葉が引かれ「山河を滅ぼすなかれ」という横断幕が書かれていたが、英語にでも翻訳したら環境団体と間違えられてしまいそう。


■③「心のケア」への懐疑 P97■

・「地震に自分の尊厳のベースを損壊されてしまった人が大勢いるわけです。震災後の言論は我々がいかに尊厳を回復できるかを大本に置いてなされるべきで……」
 ⇒「『我々』とは誰のことであるか?」という問いがその損壊を経験した人の口から発せられないか。
・こうして「我々」と口にしたとき、それが被災し、仮設住宅で過ごしている人々とどれほど離れているかを考える。

・ここで言うような「損壊」―具体的な被害や、周囲の人々の死に基づくものも、あるいはPTSDのような精神的なものも含めて、これらを一つにまとめることは決して出来ない。パターン化することさえも難しいのではないか、と考える。なぜなら被害は一方で極めて個人的なものであり、他方社会的なものだから。全てが流されたけれど親類を誰も失っていない人、ほとんどの友人と死に別れたけれどすぐに再就職し生活の安定した人、数え上げること自体に意味はないほど個人個人の状況は異なり、それを把握し癒す、という考え自体がおかしいのではないか。より異なる考え方がされるべきでは?

・ここで「心のケアが必要」という言葉が出る。しきりにメディアでもこれが騒がれているが、そのように一つの言葉で単純化してしまってよいものだろうか?「心のケア」と行って出かけていった人々が、その実新しい精神的な問題を生んでいる、という自体は容易に想像できるのではないか?

・さらに一歩踏み込めば、「救われる」という答えそのものへの懐疑もある。心理学・精神分析に対する懐疑ともこれはつながり、例えば「救われないこと」を望んでいる人へ無理に救済をあてがおうとする危険があるのでは。


■④:人間の揺れ■

・P97の二段目の最初に「震災という体験を経て、人間性と社会に対する理解がどう変わったのか」という言葉があるが、これは「さっぱり変わっていない」ように思える。

・参加者の一人から「今回の震災は過大評価されている」という意見が出る。なぜ阪神震災・中越震災と異なる報道のされ方をしているのか。実際半年が過ぎた今では、報道も興味も終息へと向かっている(原発を除いて)
・これに対し、他の一人は「震災そのものについては同意できる」とした上で、震災よりも、その後の『社会・人間の揺れ、動揺』に注目しよう、と述べる。3.11では東京が揺れ、節電を迫られ、原発事故が起き、津波の映像もあり、それらは個々で捉えられるのではなく、『3.11』という複合的な存在として捉えられる。そしてこれに対して東京は「揺れ」続けた。一方で自衛隊などの美談が語られ、津波の惨劇は繰り返され、原発の報道へは懐疑が募る。
・これを受けて、東京、あるいは他の地域でも人々は様々なことを考え、口にし、行動した。西へと批難する人、水や野菜に対する反応、家族・職場・学校で様々な意見が交わされただろう。
(◇個人的には、小学生・中学生・高校生が学校でどのようなことをお互い話し合ったのか、その体験が将来どのように共有されていくのか、というところが気になる)
・こうした人間同士の動きが非常に大きかったのが今回の震災だったのではないか。

◇「地震」を象徴的なものとしてみると、「非現代的」なものに映る。現代は、様々なリスクをどんどん改善して築かれてきた。大きいものは病気、または貧困・飢餓など、生命の危険を減らし、「確率的なリスク」をそぎ落としていった。治安の改善もその一つで、「よほど運が悪くなければひどい目に会わない」社会を作り出すために骨を折ってきたのが現代。地震はこれに対し正反対の存在。「非現代的」という語から考えれば、飢餓のような途方もないイメージ。そして「現代」は災害に全く対処できないということが分かってしまった。ここからある種の絶望が生まれてきているのでは?

・21世紀に入ってから「災害の時代」が訪れている、と述べられている。ハイチ、スマトラ、四川……
・この「災害の時代」と「セカイ系」が被っていることに注目してみたい。セカイ系の物語の中では、ぼく⇔きみ=セカイ……主人公とヒロインの二人の関係が、セカイそのもに結びつく(二人の恋愛の成就が世界の存亡に直結している、など)世界観を持っている。

旧約聖書ヨブ記では、(災害と同様に)責任のない苦難を主人公が負わされるのだが、彼の状況上記と同様に考えると 自分⇔自分=世界(神)という構図となる。すなわち、個人が社会を介さず直接世界=神と向き合っている。あるいは自分自身を向き合っている。これと同様に「自分と自分と震災」個人で向き合い、どのように思うか・行動するかを選択しなければ、例えばデモに行っても、ボランティアに参加しても、そこにいる人々の言説・行動・理論に従属するだけで「自己」主体的な行動にはなりえないのではないか。


■⑤:キミを☆脱構築! P98-99■

・アイゼンマンの「脱構築」のビルが紹介されている。これは地震が襲ったかのように崩れ落ちる瞬間のビルが「フリーズ」された姿を捉えたもの。浅子氏は震災後、このビルが「表面的で薄っぺらいもの」に見えるようになった、と語る。震災が襲って、そうしたビルの風景があらゆるところで見えるようになってしまったから、「世界が変わり」ビルの持っていた意味が失われた、と感じている。

※「脱構築って実際なんなの?」
 「近代までってさ、何でも完成された、がっちりとした「構造」ってのがあるんだよね。磐石で、揺るがない」
 「ビルが長方形とか、家の形が決まってるとか、そういうことかな」
 「そこには構造の哲学がある。それに対するアンチ、あるいはカウンターが『脱構築』……「脱」っていうよりそれを打ち壊すって意味では「破」構築かもね」
 多分「デンジマン」の怪人たちがみんな左右非対称だったこととかむっちゃ脱構築だと思います。いやマジで。
 「でね、完成された構造を壊すって、そのこと自体とっても形而上的なものでしょ?言葉に出来ないもの、アンフォルムなもの(とりあえずパッと見何が描いてあるかわからない抽象画とかだと思いねえ)に繋がっていくでしょう?」
 
地震そのものによる破壊、阪神大震災のときに高速道路が崩れ落ちた状況を目にする……でもそれは、「現実の破壊」と「アイゼンマンによる模倣の破壊」というふうにとらえてしまっていいのか、という疑問が向けられます。どちらも「芸術」ととらえる見方もあるのではないか。だとすれば「崩れ落ちた高速道路」が様々な面で、より作品として優れていた、というだけではないか。さらにアイゼンマンの建築は、そうした破壊が行われて、また新たな意味が付与されたのでは?


■⑥:「残余の念」■

・上記のようにとらえたとき、「壊れて失われた町の風景」という捉え方では、喪失、損失としてしか見えなかったものが、「脱構築された」というように、⇒「新しい昨日を付与されたもの」としてみることも出来るのではないか。被災体験をそのように捉える、というオプションはないのだろうか?

・「被災体験といったときに、はたしてなにから逃げているかをいえといわれると困るけれども」
 ⇒「問い」から逃げているのでは無いだろうか。非道徳的な存在から、脱構築から逃げているのでは?上記のような「薄っぺらくなった」という言葉自体が「構築」あるいは合理的な思考に基づく捉え方に思えるから。

・被害を受けて(あるいは三歳でぜん息にかかった子どもが)「なぜ私にこんなことが?」と問いかける。「なぜ私なのか、何も悪い事をしていないのに」合理主義の世界は決してそれを説明出来ず、そして「でもしょうがない」というところにのみ帰結する。そうではなく、あくまで問い続ける姿勢を持つこと。
不定形(アンフォルム)≒カオス≒脱構築された価値を受容するということ。

・これらの『残余の念』などに対し、例えば和合氏の詩が「喪失を引き受ける」ものだと述べられているが、そもそも文学そのものが「喪失を引き受ける」メディアそのものだったはず。アリス「死者の代弁が出来るのは探偵と作家だけだ……」「NEET探偵だ!」だから作家は中指を立てる「なめるな!」と叫び。緊急時に限ったことではない。大体人はみんな必ず死ぬのだからいつだって緊急時なのだ。

・「知識人」がこうした問いへの意味を作ることが出来る。意味とは決して合理的なものだけとは限らない。ここでセカイ系とも接続する。「自分にとっての意味」を構築しなおすことが出来る。
・社会・近代文明は合理の枠の中にいるから、確率による死、意味を持たない死に説明を与えられない。社会・国家はそれでもいいが、その中にいない『知識人』がそれを言わなければならない。現代の日本では『国家に直接発現できる知識人』意外は収入がほとんどないような状態が続いている。日本における『知識人』は実学から入り、権力と近い位置にいるという問題。

・心理学の専門化が「心のケア」をする役割、これも必要だろうが、同時に芸術家・文芸の役割も必須と言える。しかし「カタルシスを用意すべきか」つまり答えまでも用意するべきか、という点には十分注意する必要がある。


■⑦:フクシマ■

・今我々が「フクシマ」というとき、脱構築された=無形のものとなったそれを指している。広島が「ヒロシマ」となったように、福島は脱構築され「フクシマ」となった。
バタイユの考えなど、「根本的に禁止されているものが聖なるものである」近づくことを禁止された原子力発電所は、象徴として眺めるとき「聖なるもの」としての機能を付与されている。そこを目指すボランティアたちは、その文脈においては「聖地巡礼」の列のようにも見える。
原発は「禁止された恐怖」であり、祈りの場、信仰の場として機能し始めている。危険=懺悔を行うという点から、「フクシマ」は教会的な場所となり、同時に芸術や思想の母体となりえる。

・ボランティアは「福島」を支援し助ける一方で、そこでの概念を薄れさせ、聖なるものを埋葬する=忘れさせることに一役買っている。今の祝祭……あるいは狂乱の状態は今もまだ続いている。

◇和合氏の「死の礫(つぶて)」を最初見たとき、僕はそれが「死の磔(はりつけ)」かと空目して戦慄を覚えた。上記で話したような「フクシマ」が忘れ去られていくことに対して、詩を「はりつけ」にし、そうさせないようにするのかと思ったからだ。埋葬―偶然か原発を閉じ込めるのは『石棺』と呼ばれている。

   
■⑦:思想なき世界 P100■
・言説がどうどうめぐりしていたとしても、それでも言葉が続いていることは救い。「フクシマ」が埋葬され消えていない証明。
・東氏は「思想なき世界」が善とされていた、経済的な、便利な豊かさを追い求め、思想や理想がなくても楽しく暮らしていける、そうしたビジョンが日本にあったと語り、震災以後それが単純に言えなくなった、と述べる。
・「思想は趣味としてしか生き残れなくなっていたんですね」
 ⇒人に苦しみを与える思想、複雑な思想というものは生まれえなくなっていた。震災の後、こうしたものの萌芽がみられるだろうか?思想なき世界に思想を取り戻そうとする力。

◇しかしそこにはドストエフスキーの『悪霊』のように、奇妙で破壊的な人々もまたまつわりついてくる。『「フクシマ」を世界遺産―世界初の「概念遺産」として指定しよう!』などと叫ぶ狼男。『谷川俊太郎の「なんでもおまんこ」を変えて「なんでもフクシマ」にしよう!』などと言い出すフランケンシュタイン。あるいは「フジデモ」は、どうとらえられるだろうか?

ゼロ年代の批評が「そのような状況そのものがむなしくなってしまった」とする語り口は、先ほどのアイゼンマンの建築の話とも被る。だとすれば、そうした批評が「脱構築」されたもの、としてこれらも同じように新たな価値を得られるのでは?

・「僕は考える頭がないので、せめて身体だけでも使おうと思ってボランティアに行きます」というのは、批判の対象になる。頭の良さは当然知識・学問とイコールではないが、「考える」人間でなければボランティアには向かない。


■⑧:破壊された・失われていくモノの価値 P102■

・災害による「確率的な死」を、合理的思考が説明出来ないからといって、「合理の外は即宗教」というのは短絡的すぎるのではないか。その間には例えば文学、芸術がある。「原始資本主義」において存在していた、「失うこと・無くなっていくこと」さらに敷衍すれば「死」に対する感覚を忘れている。なぜならそれは決して資本=カネにはならないため。

・だから、「破壊されたモノ」に価値を見出すことは出来ない。これもまた「脱構築」の話へと繋がっていく。
・死者が他者として見られている……つまり生きている私達を「見ている」例えば「先祖の霊」のような存在として死者を見ること。そうではなく、最終的にそうなるとしても死者は一度は自意識に回帰させたほうがいいのではないか?「我々は常に他者から見られている」という考え方は危険である。


■⑨:サバイバーズ・ギルト P102■

・「生き残ってしまった自分」の罪の意識。たとえば井上ひさしや黒木一雄の映画、あるいは「火垂るの墓」の中にもそれは描かれてきた。戦後日本の大多数の人が感じたものだったのにも関わらず、それは失われつつある。
・映画『ユリイカ』あるいは政治哲学のロールズにも戦地でそうした経験がある。思想地図βでは「確率」という言葉で東氏が書いている。



■⑩:巡礼者としてのボランティア■

・ボランティアはなぜ被災地に向かうのだろうか?「熱狂的なキリスト教徒の人は、自分から苦しみたがる、より強い苦難を求める、ということがある。なぜならより苦しんだ人がより神に愛され、恩寵を得る、ということを感じるから」
・あるいは「いたたまれなさ」「怒り」という言葉でも表されるかもしれない。上述のサバイバーズギルトともつながって、「あの人々はあんなに苦しんでいるのに、なぜ私はここで安全に暮らしているのだろう?」という現状への「怒り」を覚えボランティアに赴く。そうした自分への怒り、罪の意識があり、免罪符を求めて現地へと行くのではないか?

・「福島のものを食べよう、食べて支援しよう」という言説について。放射能・経済うんぬんではなく、「彼らの苦しみを共有したい」という視点から見ることが出来るのではないか?実際の農家や推進する人々の思惑とは異なり、そう言って消費しようとする側の感情はどこにある?実際に彼らの苦しみを得ることは決して叶わないのだから、自分が異なる方法で苦しむことを探しているのではないか。これもまた罪の意識と免罪符の思考。
・これはあさはか過ぎるように見えるが、一方でそうした「苦しむ」ことの選択肢が非常に少ないとも言える。


■⑪:ボランティアと写真の妖術■

・これはもう一つの文献、レヴィストロースの『悲しき熱帯』と関連する部分。レヴィ=ストロースは、フランスの若者が「自分探しの旅」に出かけて、珍奇な写真を撮って回る行動を、ネイティブ・アメリカンのトーテムを得る通過儀礼と照らし合わせて、「カメラによる妖術」と述べている。フランスの若者は、「珍しければ珍しいほど良い」と、原住民の写真を撮るとき、文明を感じさせるものをあえてフレームに入れないように注意する。実際はもっと文明的な暮らしをしている人々を、「野蛮人」として写したいがために。

・ボランティアに赴く人々もまた、写真撮影に対して同様の意識を持っているのではないか。ボランティアに来た人々は「ガレキ撤去」の仕事をしたがる。よりひどい被害を受けた地域へと行きたいと願い、鎮痛な表情をして写真を撮る。被災者は「苦しんでいなければならない」既に出発する前から自分が撮ることになる写真のイメージは完成しており(それはテレビで・新聞で何度も見たあのイメージ)それに従わないものはフレームの中には入らない。それらは「悲惨であればあるほど良い」そしてそれらの写真を友人に見せ、「まだ被災地には支援が必要です」と言うところまでが完全なワン・パッケージになっている。そして生まれるカタルシス


■その他■

・「放射性物質飛散状況」を告げるテレビ、セシウムを吸収するヒマワリ……「SF世界のように感じる」という言葉は、これまでの現代の実務的想像力の限界を超えてしまったのではないか。現代に築き上げられてきた「過保護な街」を侵食している。オタクたちは現実的な震災をまだ捉えることが出来ていない。

・戦後になって、日本の概念が喪失したため、そこを「合理的思想」で埋める必要があった。それは『日本(仮)』とでもいえる状況がずっと続いてきた。例えば『共産主義』というものも、汚れのないイメージが受け入れられたのではないか。イノセンスを愛する、という部分と響きあったのでは。同様に二次元に向けられるものもイノセンスへの憧憬。
 ⇒一方でそうした『合理的思想+汚れの無いユートピア』と戦うサブカルチャーも存在する。カオスラウンジは「肉体を感じさせない汚さ」を持っている。

ノンセクトノンポリであろうとすることは現代では難しい。なぜなら右側も左側も多様化し、明確な方向性を持たないから、ノンポリであるということが「何も考えていない」ということと同義になってしまう。

・「がんばろう日本」というスローガンが出ているが、阪神中越ではそのようなものはなかった?なぜ今回だけ?
 ⇒福島のドライブインでみた「頑張ります福島」の文字。伝わってくる拒絶?

・映画監督が集まって「3分11秒」の作品を集めたものを作成。地震津波に関係のない映像も沢山ある。

・「東北大地震」は終息に向かっている一方で「3.11」はまだ終わっていない。