『幸福の惑星』 劇団ハーベイ・スランフェンバーガーの見る夢 感想

 こういう作品って、なんて呼べばいいんだろうか?小品?確かに演劇以外の何物でもないし、かといって前日に見たレ・ミゼラブルとは全く異なる形式のものにも思える。ほとんど動きは無いが、「朗読劇」というジャンルともやはり異なる。「朗読劇」の場合は、むしろ舞台や動きなどを観客に想像させるからだ。
 ほとんどが二人の登場人物のダイアローグで進行する。しかも互いはラジオの電波で繋がっているだけで、二人のいる場所、月と地球の間には「大宇宙」が広がっている(そういえば超光速通信だな!)ため、触れ合うことも出来ない。

● 
 面白いのは、この通信が「音声のみ」の会話ということ。超光速通信なら、リアルタイムで顔くらい表示しても良さそうだけど(あるいはMOONからガストの姿は見えている?)
 観客からは、当然二人の顔・姿は見えている。しかしその二人は声だけで会話している。この物語全体に言えることだけれど、SFという設定を持っていながら、その実これが非常に古典的なお話なのは、この「声だけの会話」というところがポイントなのだと思う。早い話が「電話での会話」そのものなのだ。
 「音声だけ」という設定は、もちろんMOONがガストの死んだはずの恋人「マキムラ」のフリをする、物語の重要な点を可能にするけれど、それだけでない。ガストが彼女のずっと言えなかった気持ちを思い切りぶつけられたのも、やはり「音声だけ」の会話だったからではないだろうか。
 この物語が、なんだかひどく懐かしく感じられたのもそのせいかもしれない。携帯電話が普及する前、まだメールやインターネットでのコミュニケーションがそれほど盛んでなかった時代、「会ったらうまくいえないけれど、電話なら伝えられることがある」という場面を描くドラマがいくつもあったように思える。僕自身も、中学・高校の頃、友人や気になる女の子と(家の電話で!)長電話した記憶を掘り起こされていた。学校でいつも顔を合わせているはずなのに、なぜか何時間も長電話してしまう感覚。友人の恋の相談に乗ったりしていて、不意に訪れる沈黙。遠距離恋愛の経験がある人なら、恋人との長電話を思い出してなおさら感じるものがあったのではないか、とも想像する。


 書いていて気がついたのだけれど、ガストの「あの人はそんなことを言うはずないもの」という言葉、これはマキムラがMOONに語った話の中に、現実と異なることがあったということだろうか。そう考えると、実際には登場しないマキムラという三人目の姿が立体的に浮かんでくる。彼は婚約者のいるガストと「不倫のような」恋をしていた。どうにもならないことと感じながら、けれど心の中では、彼女と恋をして、愛し合う、そういうファンタジーを抱いていた。そしてそのファンタジーをMOONという第三者に語った……それは寂しいことだろうか?僕はむしろ、なんだか嬉しい気持ちになって微笑みがこみ上げてくる。なぜなら、そのファンタジーこそがMOONとガストの出会いにつながり、この物語を生んだことになるから。
 そう考えると、MOONの「ごめん」という言葉の取り方も当然変わってくる。MOONの心の中では、マキムラは「ごめん」と素直に謝る存在だった。これはMOONの「ガストさんの前では違ったんですよ」というセリフに表れてるかな。おかしな話で、そこにいないはずの三人目の人物が、最も活き活きとしたキャラクターとして描かれているような気がする……


 演出の話をすると、一番最初、真っ暗闇の中で詩のようなセリフを言うのはゾクゾクさせられる。駒場小空間でこれをやっても、空間が広過ぎて十分な効果がないと思う。けれどあの狭い部屋の中だと、声が近くから響いてきて、観客が息を殺しているところまで感じられて、非常に緊張感があって良かった。狭い場所で、近くに誰かがいて、真っ暗闇、っていうのは結構怖いですよね。むしろもっと色々できるんじゃね?とアイディアが湧きそうになったり。
 役者の演技というのは、いくつかの場面転換を除けば、細かい仕草くらい。でも、だからこそその仕草が重要だし、当然のことだろうけれどちゃんと気が使われていて良かった。そして、ほとんど動的な場面がないからこそ、二つの切り替えとなるシーンの演出が際立っていたと思う。
 最初は、「ごめん」の一言で、ガストがMOONの正体を見破るところ。特別な演出、というわけではないんだけれど、全体を通してこの場面が一番心に残る。ウサギもどきの荒唐無稽な話―しかしこちらとしてはどんな設定も「SF」として受け止めないといけないから、「そういう話なんだ……」と飲み込んでいて、それをクルリ、とひっくり返される。そこまでの緊張感の持って行きかたが良くて、MOONが「バレましたか」というようなセリフを言ったときには、大きなため息が出た。これは作者と役者の素晴らしい共同作業だと思う。大きな拍手を送りたい。
 それからラストの、手紙を手渡しするシーン。それまで、二人の間には月―地球の遠い隔たりがあり、舞台の上には近いはずなのに決して触れられない、まるで透明な壁のようなものがあるように思えていた。それがたったの一瞬で崩れるようで、これも素敵な演出。

 ごく普通に見ることができたけれど、『二人の会話だけ』という演劇の内容は、それほど簡単なことではないと思う。演劇の空気がだんだんと日常に接近してきて、緊張感がそがれてしまうからだ。実際いくつかのシーンで「あ、危ないな」と思うところがあった。MOONが「ぶっちゃけ」って言葉を使ったとき、ガストが気持ちを思い切り伝えたその後(その前までが非常に緊張感を強いていたため)とか。
 もしかしたら、もう一箇所くらい、一番最初と同じ……でなくてもいいけど、なんらかの象徴的な場面、セリフを入れてもよかったかも。振り返って見ると最初のシーンだけが少し浮いているようにも思う。


 ともあれ、作者の書く他の劇も見てみたい、と思わされた。4人くらいの登場人物の作品とかいいなあ……また、この劇を見ていて、ライブの「対バン」ならぬ「対劇」なんていうのがあっても面白いかもな、と思った。30分くらいの劇を順番に演じていく、みたいな。それぞれテーマが決まっているとか、実は短編集になっているとか。正直なところ、面白かったと思う一方で、この作品だけ、ということへの物足りなさも感じるからだ。映画館に行って短編一本だけを見せられたときのような。それなら、ショート・フィルム集のようなやり方もありかな、と。

 最後に悪かった点……というより、もっとよく出来たと思える点を。繰り返しになるけれど、この劇の内容はSFの短編小説、あるいはショート・フィルムのようで、確かにいくつかの演出は「演劇でしか出来ないこと」かもしれないが、「舞台/演劇でなければいけない」という点に関して「まだいける、まだ先がある」ということを感じた。
 特別な、あるいは大掛かりな演技・演出をしろ、というわけではないけれど。自分の心の表面に触れる何かがあった、と思うからこそ、その心のもっと奥の方まで届くのでは、ということを感じたのです。