東京大学服飾団体fab 『Mode & Science Fashion event via 1.43』

東京大学服飾団体fab 『Mode & Science Fashion event via 1.43』
 自主芸術ゼミの友人たちと、人生初のファッション・ショーを見てきました。舞台は剥製に囲まれた博物館の中。
 この日、ショーが終わったあとこんな話をしました。
「考えてみれば、あの場所は死で満ちていた。骨格標本、人体模型、剥製となった動物たち、様々な動物の骨……その中で生きている人間が、生命を持たない鉱物、素材という影のテーマに思えるものをまとう不思議さ……」

 ファッション・ショーは、「ファッションのショー」ではなく、「ショー形式にしたファッション」でもなく、「ファッション=服飾と、ショー=舞台芸術の融合」というように考えるといいのでしょうか。その後の友人たちとのディスカッションでも、このショーは「場所が固定されていない美術館」あるいは「インスタレーション」(空間・コンセプトによる芸術作品)と捉える方がいい、という話が出ていました。


●「衣服」という縛り
 「美術としてとらえる」という言葉が出た際に、すぐ出てきた議論がこれです。僕たちは数週間前に「ファッション」という題材でゼミ(討論会)を行いました。その中で印象に残っていたのが、「ファッション・ショーでの衣服は、その服を着る人の、あるいはそうした服が人々に着られている社会の、新たなライフスタイルを提供する」

 「現在にはない、新たな生き方の提示」はファッションに限らず、様々な芸術にも共通することだと思います。ただ、ファッションは最も「ライフスタイル」という言葉に近いようにも感じます。洋服のバリエーションを見れば、その人がどのような仕事をしているか、生活をしているかが見えてくるから。
 だからこそ、衣服を「着る美術」として見る一報で、日常の中でまとうこと、そうした服をまとっている社会はどのようなものなのだろう、ということを想像しながら見る、というのは一つの視点になるのではないか、と思っています。


●「素材」と「フォルム」―洋服以前の段階
 ディスカッションの中で語られていたのがこれらの言葉。特に「素材」ということについてのものです。公式ホームページでは、今回のファッションショーのコンセプトは「目という水晶体を通して認識が……」ということが書かれており、話を聞いた中ではプリズム、三角形の半透明の素材を用いている作品がそれに一番近いように思います。
 それ以外では、大きなテーマの縛りはそれほどなかった、ということを伺いました。
 ショーの後の僕たちのディスカッションで、その点……つまり「テーマの縛りがないにも関わらず、大勢の人の作品が『素材』にテーマを絞っているように見える」ことへの驚きがありました。
 綿花をまとうものが一番ですが、プリズムのもの、「植物標本」のテーマでもフェルトが、ガラスの繊維を用いたものは「型紙」を思わされました。共通するのは、服となるそれ以前の段階へ一つ戻っている、ということ。服になるまえの設計図を見ているような印象を受けます。

 素材ということとも関係するのですが、「色」が白と黒のモノ・カラーが多かったことも印象に残っています。あるいは銀や、ビニールの透明。
 先日柳田國男の「明治大正史」の中で、日本人が利便性を捨てて麻から木綿の服へと移行したのは「色をまといたいという欲望」があったから、という話を聞きました。それに対して、この間のゼミの際も見たファッションは、圧倒的に白黒が多かったように思います。
 植物を脱色して白くする、という行為は、かつて草木で服に色をつけていたことまで考えると、そこで逆転がおきているようで面白いです。


●説明の不足
 不足、と題したのはあまり良い印象ではないかもしれませんが、ショーが終わった後、服の製作者に色々話を聞いてみると、見ていたときには気がつかなかったことがあまりに沢山あって、「勿体ないな……」と思ったことは事実です。実際、ショーで見ているときよりも、後で説明を受けているときの方が驚きや発見が多かったような気がします。
 芸術を説明する、というのある種反則のようにも感じるのですが、ここに対する何かしらのアプローチがあってもいいんじゃないか、ということは強く思いました。例えば●22-23の「造形的な造形」は、マジックテープで様々に組み替えられる変形する衣服、ということでしたが、これを組み替えるということを演出の一つにするとか、「フェイクニット」……実はゴムの衣服をそうだと分からせる工夫、あるいはアクション・ペインティングならメイキング映像をプロジェクションするとか、制作過程もショーの一つとして見ることが出来たら、という意見は多くでていました。

 ただ、僕たちは数人で、様々な人からの話を聞くことが出来、それらを総合することで、自分たちが最初に抱いていた印象と、製作者の考えていたことの違い、、そこのズレを楽しむことが出来た、というのは面白かったです。
 例えばある一人は、●16 のガラスの繊維で作られた服に現れている曲線を見て、「理系の学生が、ある特別な数式から現れる曲線を利用してるんじゃないか」ということを考えたといいます。でも実際はそうした意図はなかったそうです。


●四つの部屋の差異化
 演出に関しては、「舞台を活かしきれていなかった」「もっと面白い使い方が出来たはず」という意見が多かったように思います。
 せっかく四つ部屋があるのに、十分な差異化がなされていなかったこと(狭い部屋のぞく)。また、実際別の部屋で全部見ることが難しかった、ということもあります。アナウンスがなかったので、どこで移動していいのか、するべきかも良く分からなかった。
 置物によって差異化がされていた、と見ることができますが、それ以外にも、音楽や照明、あるいはモデルの歩き方、ポーズなどでも、部屋ごとに何らかの物語を発生させることが出来たのでは、と感じました。いつもやっている場所だから、という理由でこの場所が選ばれたのだとしても、もっと空間を作ることが出来たのではないでしょうか。

 一方で、偶然なのかもしれませんが、いくつか面白い接近もあったように思います。「植物標本」というテーマはまさに剥製などと重なりますし、僕の見ていた部屋では後ろに二体のガイコツ(骨格標本)がポーズをとっており、中央にモデルさんが来ると、その二人(?)と三人がセットになって、不思議な効果を生んでいました。


●音響に関して
 音楽を担当された方からも話を伺いました。これも部屋の差異化に伝わりますが、面白かったのは「和音だけではなく、音質を変えて行くこと、音の解像度を上げたり下げたりして、音楽が不安定から安定に解決するのを表現した」という話です。
 狭い場所では残響を強くかけ、また広い場所でその逆をして、空間を錯覚させる、という工夫。
 ファッションショーの音楽には、まだ様々な可能性がある、ということを参加者が言っていました。「モデルから音が出る」「音楽のリズムとモデルのウォーキングのテンポが関係している」
 様々なアイディアが見られると面白くなるのかもしれません。


●その他
・ショーが唐突に始まり乗り切れなかった部分があったこと。せっかく下の部屋、また二階でもしばらく「プール」……待たされる状況があったのだから、そこで何かあったらよかった。音楽は利用できたはず。

・パンフレットの裏は、デザインは格好良かったけれど、スタイリッシュ過ぎ(!)て説明が小さく、それが各作品を示している、ということに気づいたのは実は会場を後にしてからでした。

・今回は学術的な側面が沢山のぞけるものだったので、そこは面白かった。感覚的で、全く理解の糸口がつかめないような、「文系のもの」としてのファッションショーは怖い。もっと数学、形態学などに基づく理論があってよい。あるいはその両方を持っているような。

■■■■■

 以下は個別の作品について。全ての作品は網羅していません。印象に残ったもの、話を聞くことが出来たもののみ。

●No.1-2-3 HERBALIUM
・まず上で何度か触れているように「植物標本」という言葉に惹かれました。葉脈を残して葉を溶かす。まさに標本作りの方法で作ることも出来る、とのことです(実際に、標本と同じやり方・薬品で「作る」という行為にも意味を求めたら面白かったかも)
・命の残骸をまとう、という行為は不思議なもので、例えば革製品なんかはまさにそのままなのに、なぜかこうした植物の方が「命」を感じさせます。慣れてるだけ?

・ある一人は『「環境音楽」というのがあるけど、これはその「衣服」版』である、また『指輪などアクセサリにする、という方法ではもう現実で受け入れられている』という意見が印象に残っています。

・一方で、ワンアイディア勝負、つまり「植物をまとう」というそれだけで、アイディアの層が一つしかなかった、ということも。もういくつかあったら面白かったのではないか、という意見が出ました。

・これもある一人の意見『ドレスというのは、基本的に上から見ると下に向かって扇形になっている……もしこれが異なって、下に向かってすぼんでいて、上から見たときに葉脈が見えるようになっていたら……それならカメラを天井につければ、映画のシーンとして成立するのではないか』

・それを聞いて僕は、衣服全体が一つの植物を模している、というのも面白いかと思いました。恐竜の骨が元の形に組み上げられているようなイメージですね。葉が黄金比の感覚で体を覆っていて、足元にはそれが生えている土(とうぜんこれも脱色されている)がある、というような。

・上に挙げた脱色と草木染めの関係ももう一度言っておきたいです


●No.4-5-6 わた・ぬの・ふく
デュシャンの「レディメイド」の考え、なるべく素材をそのまま使い、加工しないこと。「美しさを求めるとレディメイドでなくなってしまうので、逆にランダムになるよう意識した」という話は面白かったです。

・けれど一方で、モデル=人間、というまさに作られた存在についても工夫があったら面白かったかな。人間をレディメイド化するってどうすりゃいいんでしょうね。あるいはレディメイド化される衣服。

・綿花をぶらさげた作品、たくさんのタグつきシャツをぶら下げた作品は、見た目、アイディアの面白さがある一方でこれもコンセプトの層が単一かな、という印象もありました。

・参加者の面白い意見は、生地のロールを体にまとった作品に対するもの「あれ、傘を収納出来ていいと思ったんですよ。雨の日に傘で手がふさがるのが嫌なんですけど、それを解決してくれるって、それだけで価値がありますよね」
・それを聞いて僕は、秋葉原での限定ポスターもしまえる、木刀もしまってあるけるので護身にいい、などと頭の悪い会話にもちこんでしまったのですが、確かに傘をしまえるってのは面白いかも。

・チャラヤンのファッションショーの動画で「身にまとえる家具」というのがありましたが、身にまとえる傘というのも面白いかもしれませんね。スカートになるとか、シャツになるとか。

●No.12 modernism Ⅱ -action painting-
・参加者の一人が熱く語っていた作品がこれ。タイトル……だけでなく一目見れば分かるように、ジャクソン・ポロックの「ドロッピング」(床にカンバスを置いて、上から絵の具をたらして線を描く技法)を利用した作品へのオマージュでしょう。
・以下はその参加者の意見「ポロックのすごさというのは、それまでの絵が『壁に飾られているものを見る』という水平の構図を、上から見る、という垂直に見るものへ、鑑賞の方法を変えたというところにある。だから、あの服なら、下に寝ていなければ意味が無い。ただポロックの真似に終わってしまったのではないか。そして、それを作った過程にも重要な意味がある、完成品だけでなく、その制作過程も、映像や他の工夫で分からせる必要があったのではないか。」

・これは上記の説明の不足、というところとも重なります。

・僕も、確かにこれならポロックの絵をそのままプリントした服でもいいじゃないか、という印象がありました。ただ、ストッキングにもそれが飛び散っている、というのは面白いという意見もありました。人間がカンバスになった美術作品、という見方も出来そうです。


●No.21 new-dimonslonal knit
・これはまさに「説明の不足」を実感する作品。ちゃんとお話を聞かなければ、何も分からずに帰っているところでした。一見すると普通のセーター……なんですが、実際は「ニットの模様を石膏でとって、そこにゴムを流し込んで作った」というゴム(Latex)の作品。

・この作品に関しては議論が白熱しました。上で「レディメイド」の話が出ていましたが、実はこの作品も、意味の点ではデュシャンの芸術を体現していたのではないか、という意見です。
 ニットであるからこその模様が、ゴムというその模様の必要の無いものに写されることで、「意味のすり替え」(「シニフィアンと死にフィエが一致しない」)が起きているのではないか。あるいはマグリットがパイプの絵を描いて、「これはパイプではない」と文字を書き込んだように、「これはニットなのか?」という問いかけが、見ている観客からではなく、服の方から発信される。ゴムという素材の価値に、別の様相が与えられている……先ほどから「層が一つ」しかない、という批判を述べてきましたが、この作品がアイディアに止まらないのは、こうした「問いかけ」が示唆されるからではないか、と思います。

・自分たちの芸術ゼミで、現代音楽、現代美術などの話をする中で、「従来の芸術は、作品に対し観客が鑑賞する、という方向の矢印しかなかった。しかし、現代芸術は作品の方から『これは芸術か?』と矢印が伸びてくる」というような意見があり、この作品はそこに関わってきます。「これは服なのか?」という問いまで拡張されて、話が長く続きました。

●22-23 造形的な造形
・これに関しても、上の「説明の不足」で述べました。可変する服、というアイディアは面白くて、僕はレゴのようにもっと複雑に組み替えられる服とか、パッチワーク的な服をいくらでも組み替えられる服、などというところにまで想像が広がりました。

・先ほどの「傘をしまう服」の意見を言った参加者は、これにも言及して「組み換えによっては傘にも出来たら面白いし、雨の日が楽しくなる、そういう価値がある」ということを述べていました。

・話しがズレますが、そこにいくと、「傘のファッションショー」というのがあっても面白いかもしれませんね。以前に、傘というのは江戸時代のものから全く形が変わってない、というような話をしたことがありました。「美しい傘」「新奇な傘」から「未来の傘」まで。それも面白いかも。