劇団綺畸 冬公演『吐水密室』感想

●「期待を裏切らない」作品
「あー、面白かった!」
 劇を見終えた第一声がこれです。劇場の出口をくぐりながら、(これは感想を書くのが難しいぞ……)と首を捻っていました。
 一言でいえば「期待を裏切らない」作品だった。しかし「よい意味で期待を裏切ってもくれない」舞台でした。


●構成の妙:物語の枠の丁寧さ
 冒頭から微妙な言葉で始めましたが、実際僕はこの舞台をかなり楽しめました。ミステリがそこそこ好きなことと、演劇の原体験がアガサ・クリスティーの「オリエント急行殺人事件」の舞台だったということもあり、演劇とミステリの親和性を知っていた、ということもあります。
 何より評価したいのは、物語の構成のうまさ。;警察、学校、病院、という三つのグループを、特徴的な舞台を用いてしっかり描き分けていたと感じます。さらに異なる3つを「解決編」の中でしっかり結び付けたこと。またこれだけ多数の登場人物をしっかり描き分けていたことも。
 ミステリの楽しみとして「ああ、そういうことだったのか!」この発見の驚きが挙げられます。真相が分かってから見直す/読み直すと、同じ作品が全く違うものに見えてくる。散りばめられた伏線が次々と繋がっていく。今回の舞台では、全く関係がないと思われる3つのグループが、抜け道、また掛くんという登場人物に集約し、結び合わされていく。その面白さを味わうことができました。


●人間という密室
 アンケート用紙にこんな質問がありました ―「悲しいときに誰に相談しますか?」
 パンフレットには「この劇は人間ドラマも含んでいます」
 ミステリというジャンルは型が決まっているようで、実際は殺人という極限状態から人間の心理を描き出す、という表現に向いたものだと思います。ただ、この舞台では殺人者ではなく、もう一つの犯罪、掛による梢への「自殺幇助」にスポットが移っていきます。
 
 ここで、人間が一つの密室に例えられていたのが面白い。その密室へ、段々と水が満ちていく……冒頭に地下室のシーンを持ってきたことで、その印象が強くなります。閉じられた心としての密室。そこへ悲しみや絶望が段々と充ちていき、水を吐き出す=誰かに相談しないでいれば、やがて人間は溺れてしまう。
 こうしてみると、梢という人物は確かに密室で死んだのでしょう。そして、吐き出す=壁を破って水を出すことの出来た掛は死なずに助かった。
 「相談」することが大切、というテーマは何度もリフレインが行われます。大戸は相談せず一人で突っ走ったから殺され、エピローグでは涼子、水野医師も心の密室について語ります。
 探偵の滝音が孤独ではなく、多田という協力者と常に相談していた、というのも印象的です。


●「密室を破る」探偵=?
 これは陳腐に聞こえることを承知で書きますが、他者の心の密室を開く、というのならカウンセラー、あるいは友人たち、つまり僕たち一人一人が「探偵」となりえるでしょう。探偵が「質問する存在」であることはとても象徴的です。
 相談すれば、問いただせば、そして真実を聞き出せば何もかも上手く行くわけではない、ということは言われずとも誰もが知っていることです。だから「悩んでいないで誰かに相談しよう」というような楽観的なメッセージは皮肉にさえ聞こえます。
 それでも、例えば僕は小中学生の頃この劇を見ていたら、と想像すると、全くの皮肉ばかりではないと感じます。周囲とのなじめなさ、自分の中に抱え込む姿勢、それらは以前自分が強く抱えていたものであったし、その当時にこの舞台を見ていたら、強く感じるものがあっただろうと思えるからです。


●もう一人の「探偵」鏡創一
 批判に移る前に、鏡くんにもスポットを当てておきたいと思います。上記の「心の扉を開ける」のが探偵なのだとすれば、鏡という人物もまたそこに当てはまるように思えます。掛の本質を言い当て、また終盤では村田へ「死んだ奴に執着して気持ち悪い」と吐き捨て、逆上させる。胸糞悪くなるシーンなのですが、一方でそこで怒りが吐露される様子は、掛が壁(密室も、心のものも)を壊すときと同様強いエネルギーを感じます。
 太宰だったか……いつか読んだこんな文章を思い出します「いつも自殺を考えているような作家に対して、私が出来ることは、つねにかれを罵倒し、怒らせ、悔しがらせ、それを生きる力にさせることだ」
 鏡の言動が実は計算してのもので、心の密室を壊す探偵……などと深読みをしたりもしていました。

 余談ですが、鏡創一という名前は、佐藤友哉のミステリ「水没ピアノ」の主役「鏡創士」のオマージュでしょうか。もしかしたら他の登場人物の名前にもいろいろあるのかな?


●「よい意味で期待を裏切ってもくれない」
 批判というよりは、全体的なもの足りなさの指摘、と言うほうが合っているでしょう。
 強い言い方をするなら、非常に凡庸な劇、という印象でした。

 「ミステリ」という枠を選んだ(タイトルに「密室」の語を入れた)時点で、あるいは「―解決編をはじめよう」とパンフレットに記載した時点で、観客はかなりの内容を予想することが出来ます。そして、そうした予想を裏切られることもどこかで望むひともいるでしょう。僕とか。

 ところが、本当にその予想通り、そこから外れなさすぎる。密室殺人事件がおこり、警察が糸口をつかめない、続く被害者、物語を重層的にする人間ドラマ、交錯する人物たち、そこに現れる名探偵、非人道的な殺人者。急展開、危機、そして大団円。

 冒頭で「感想を書くのが難しい」と言ったのは、作者が描こうとしている世界は非常によく見えていて、そして描き出すことには一応の成功を見ている、と感じるからです。ただし、それらが「普通」という水準を抜け出していない。
 役者の演技力のばらつき、声が音楽に負けていたり、という技術的な面も少し見えましたが、それよりも僕はこの原因を「セリフ」に帰したいと思います。
 物語に沿った、誰にでも考え付きそうなセリフばかりのように感じました。一度だけ大口を叩くのを許してもらえれば、「プロットさえあれば僕にも書ける」ようなもの。梢の自殺、掛のカウンセリングや友人との会話、また滝音との会話、といった内面的テーマの場面においては、それでは足りない。
 掛や梢の透明だけれど深い絶望。突き刺さるような不快感が欲しかったし、それがあってこそ事件解決のカタルシスが効果的なものになるはず。また、心の密室を打ち破る、強い言葉の力も欲しかったと感じました。あの終わり方では、ハッピーエンドの印象が強くなりすぎて、それこそ「相談しよう」式の陳腐なメッセージに騙される……騙されるならまだしも、「よくあるメッセージ」として記号化されてしまう。

 演劇では、文字メディアと違って言葉が音になり、さらに映像メディアとも違って、その声を伝える場所の構築、雰囲気、臨場感を最大限に生かすことが出来る……それなのに、説得力の少ない、凡庸なせりふばかりが、凡庸なやりかたで発話されている……これが一番もの足りなく感じた部分です。

 物語はそのままで、様々なセリフを変えていく。それだけでこの舞台はかなり異なったものになるのではないでしょうか。


●ユーモア
 付け加えれば、ユーモアが欠如していたことも残念でした。村田君の「腹がいたいんじゃないの?」とか、多田というキャラクターのドタバタが、重苦しい前半のイメージを活かして、カラーの異なる解決編、という雰囲気作りをしていたのは良かったです。ただし、それは刺激、ギャグであって、ユーモアとは異なります。暖かみのある笑い、というものがあまり見られなかったように感じます。


●演出
 これもセリフと同様「凡庸」なものでした。今回の舞台で最も好きな一場面は、やはり「―解決編を始めよう」の流れ。大戸が謎の人物に殺され、梢が自傷(?)をし、満を辞して探偵登場!
 その流れもよかったし、セリフが予告されていたこともあって、ここは背中にピリッとくるものがありました。しかし欲を言えば、このシーンは「全身が総毛だつ」ほどの場面にすることも出来たと思うんです。

 ミステリを演劇化する、といったとき、僕が舞台に望んだのはまず緊張感、恐怖、そして上にもあげた驚き、というまさに生理的な感覚でした。小説や映画を見ていても感じる、そうした体が震え、息を飲み、手に汗握る……心拍数をコントロールされるような劇、空間、空気作りを期待していたのです。そして演劇はそれが可能だ、とも思っています。
 
 しかしこの舞台では、それが決定的に足りなかった。丁寧で分かりやすいものだけれど、平坦な場面展開、演出。例えば「密室に閉じ込められた」恐怖も、殺人という怖ろしい行為の緊張も、また真相解決の驚きも、まるで台本をそのまま読まされているような印象……つまり舞台化される際の付加価値が活かされていない。
 上で書いたように、梢の絶望の描写もそうです。自殺のために、「せっかくなら海に行きたい」という言動はあまりに典型的で、違和感が強かった。潮風も波しぶきも感じられない彼女が「海」?さらには「掛くんは死んじゃダメだよ」という最期の言葉。そうしたロマンティックさを求める面は、彼女の絶望を鈍らせているように感じます。

 典型的な人物像、ということなら容疑者の四人。殺人者はほとんど「装置」と呼んでしまいたいほどの、C級テレビドラマ・ミステリに出てくるような短絡的な人物造形。トリックも(入れ替わり、というステップはあっても)「抜け道」という何の面白みもない上に観客に推理不可能なもの。大量の人物を描き分ける手法とは理解出来ますが、それにしてもあまりに典型、と冷めてしまいました。


●ダンス
 上に書き忘れましたが、ダンスは今まで駒場で見たことのないようなもので面白かったですね。ちょっとアングラのような、ミュージカルのような。群像劇風に、登場人物たちが街の交差点ですれ違ってる、みたいな雰囲気も好きでした。ちょっと唐突すぎる感じもありましたが。物語中盤とかで挿入しても面白かったかも、なんてことも考えました。


●余談
 深読みしすぎて、それが満たされなかったからと言って勝手にため息をつく、というのが僕の観劇時の悪いクセです。

 今回はですね、「実は掛は邪悪な人物」説を予想しワクワクしてましたね。
 掛くんの精神疾患は全て演技、そして梢の自殺も叙述トリックによるもの……つまり、彼の登場するシーンには多くの嘘が含まれており(梢の「死にたい」という表明、自殺のシーンは、掛と梢の二人によるもの)実は梢は自殺ではなく「殺された」のであり、社長の殺人も、大戸殺しも掛の手によるものだった……!実はそういう設定、伏線が散りばめてある、という空想。
 
 掛がラストで退場し、さらにカーテンコールも終わったその後……ぼくは待っていました。
 掛がもう一度、誰もいなくなった舞台に戻ってきて「……名探偵と言ってもあの程度か!クックック……ァアッハッハー!」と邪悪に高笑いするシーンを。中二ですか?そうですか……

 あ、でもそれなら見るたびに犯人が変わる(=ラストの二十分ほどを入れ替えれば全く異なる物語になる)という劇も面白いかも。

 三大劇団のミステリ・フェスティバルとかやってくれないかなー。春でも秋でも新人公演でも……

●それでも「期待を裏切らない」作品
 随分批判しましたが、それでも演劇×ミステリ、という形式は非常に好みで、足を運んだかいはあった、と感謝しています。
 偉そうな言葉になって申し訳ないのですが、作演の方にはぜひ今回の経験を生かして、面白いミステリの舞台をまた描いて欲しい、と勝手な期待をしています。
 (その際にはぜひ、僕の大好きなクローズド・サークルものを!)