劇団 姫は天蓋付のベッドで眠る 旗揚げ公演 「夢で逢いましょう/大事なお願い」 感想

 以前私は夢の中で胡蝶となった。楽しくひらひらと舞っていた。自分が人間であることを忘れていた。はっと目が覚めると人間である自分に気がつく。しかし、私が夢の中で胡蝶となったのか、それとも私は胡蝶で今夢を見て人となっているのか、分からない。私と胡蝶とは、形の上では区別があるはずだ。しかし主体としての自分には変わりなく、これが物の変化というものである。(胡蝶の夢

 大学生のユウは、友人ツトムに「理想の彼女」の姿を話す。「儚げで、現実離れしてて……」ツトムはユウの実際の恋人、リカがそのタイプからかけ離れていることを指摘する。あるときユウの夢の中にその理想どおりの女の子、シオリが表れる。最初はただの夢だったが、シオリは徐々にユウの中で強くなっていく。現実と夢の区別がつかなくなったユウは、実際の世界でもシオリの姿を見始める。現実の自分を見て欲しいというリカに、ユウは告げる「リカも、シオリも、会いたいと願って、いま、ここでしか会えない。条件は一緒じゃないか」連絡が途絶えたユウの部屋にリカが駆けつけると、そこには睡眠薬のビンを手に昏々と眠り続けるユウの姿があり、どこからともなくシオリの笑い声が聞こえてきた。

 キャンパスプラザでの会議室での公演。舞台は全体が白いヴェールで囲まれており、雰囲気があってよい。音楽もそれを意識したもので空気を作っている。多分30分くらい?の短い劇で、クライマックスのテーマを描くことに全編がある、と感じました。
 それは、「幻想の中の存在と、現実の存在との間に差はあるのか」といったらいいのかな。上に書いた「条件は一緒じゃないか」という台詞に集約されているのだと思います。これは冒頭引用の「胡蝶の夢」に始まり、ロマン主義小説や、ヘッセのデミアン。あるいは日本の古典文学にも「絵に描かれた女に恋する皇族」って話がありましたし、サキュバスやら、あるいは人形に恋するコッペリアなんかもその亜種で、実は古くからあるテーマだと思います。しかし近年になって、世界が映画「マトリクス」みたいな脳と電気信号の世界とする見方が出てきたり、あるいはラブ・プラスを例にしてもいいのだけど、二次元世界やAIの発展という背景があると、改めて現実感がある題材だと思います。夢の中に理想の少女が登場する、というシチュエーションは使いふるされた印象もありましたが、そこでのシオリの台詞は上に挙げたような背景を沢山含んだものとなっていて、色々とイメージが連想させられて面白かったです。

 舞台は非常に小さいのですが、そのフレームの中での見え方、絵や動きがかなり意識されている、と感じました。立ち居地のバランスみたいなもの。四角いからテレビの画面を思い浮かべます。退場するとき、シオリがふっ、と振り向く感じもいい感じ。また彼女の声のトーンが「私を選んで……」と肝心なところでトーンを変えるのもいい雰囲気。

 一方で、どうしてもシオリの声がアニメっぽく聞こえていました。これはさらに深く取れば、現在では、ユウの夢のイメージそのものが、上に挙げたようなアニメ世界=二次元世界が理想のイメージになる……ってな取り方をしても面白いと思いましたが……自分だったらそうとも取れる伏線入れるなー、などと考えたり。
 短い物語だからだと思いますが、リカやシオリのイメージがそれこそステレオタイプ的なもので終わってしまったのも残念です。シオリは「妖艶さ」みたいなものを出そうという意図は見えるのですが、まだまだ現実側に近くて、「儚げ・現実離れ」という言葉のイメージにたどり着いていない気がしました。夢・幻想の世界の描写も含めて、演出面で、何か出来なかったのかな、という感想です。

 もう一つの「大事なお願い」に移る際の、舞台の転換は素敵でした。全く違う話になるので、見た目での白→カラーへの大きな変化は、こちらもバッチリ切り替えが出来て、驚いたのと面白かったのと。
 
 続く「大事なお願い」の方の感想は一言、笑わせて頂きました。