東大芸術ゼミ:遠足企画『建築散歩』 その① 渋谷→表参道


 「メディアはメッセージである」というマーシャル・マクルーハンの言葉を最初に掲げておいてスタート。すぐ説明すると、マクルーハンの考えだと間違いなく「建築」というのも「メディア」の範疇に入るので、つまり「建築もメッセージである」ということが言えると思う。Q.E.D

 ★ ★ ★ ★ ★

 ●散歩以前

 そもそも「建築って芸術なの?」という問いが先に出て来ても良さそうなものだけど、冬学期のときから「建築はやりたいよね」と話していた芸術ゼミ。「ファッション」や「語り」というテーマ設定を見ればむしろ普通だった?とはいえ最初に自分が感じていたイメージからはかなり変遷があった。

 思い起こせば、建築を「芸術」と認識したのは、かなり以前に伊豆の美術館でガウディの模型やらドアノブやらを見たこと。そしてサグラダ・ファミリアを知って、大聖堂なんかの写真を見て、あるいはイランの真っ青なタイルで覆われた荘厳なモスクの写真も見て、「これ……もう……彫刻じゃん!」と的外れな感想を持ったのが最初。

 時は流れて、建築史をひもといて見ると、「建築は芸術か?」どころではなくて、西洋の古代から中世はむしろ「美術・彫刻は建築(神殿)に含まれる」という、ちょっと無理に言えば「上位概念」だったことが分かってくる。
 ちょっと脱線すれば、これは芸術ゼミで何度か話した、作品の置かれる・演奏される場所が、教会→個人宅や美術館・ギャラリー/コンサート・ホール、へと変わることへと繋がっていくと思う。こう考えると、「第一回:読み取り方」の回で話した芸術の転換点、ルネサンス/産業革命/大戦、という3つが、建築の変化とも大きく関わっていることが見えてくる。
 近代以前の建築が、壁画や彫刻で纏っていた「神聖さ」は、ただなくなったのではなくて、近代では「モダンさ」技術の発展を見せる例えばコンクリートやら鉄骨やらで、また現代では色々あるけど、例えば木を用いたりデザインによる「高級感」をまとうようになった、などと考えたりもする。

 もっと言葉を還元すると、建築を見たり、中に入ったときの「おおっ!すげぇー!」という驚き。この驚きが、他の芸術を見たときのものと繋がってると考える。

 そんなわけで時間を戻して、一月ほど前。「建築回どうしよっかー」と話しつつ @sugar_thought と訪れた代官山のTSUTAYA。店舗を見たとき僕は「おおっ!すげぇー!」と歓声をもらす。本屋とレンタル店が併設されているのだけど、全面がガラス張りになっていて、その向うに本が並べられているのが見える。天井が高くて、棚にぎっしりと詰まった本も見える。ゆっくり座れるソファとコーヒー店。中に入ってみると、本屋だけでなく、レンタル店も棚が全て木で統一されていて、しかもカウンターは円形で、半円状に棚が並んでいる……「俺の知ってるTSUTAYAと違う!」と思わず叫ぶ。
 でも、何が違う?建築物・内装に感じる「高級感」あるいは「先進的」のような印象って、どこからやってくるのだろう?その感想は、例えば人々が始めてコンクリートむき出しのモダン建築を見たときの「おおっ!すげぇー!」と同様のものじゃないのかな?そう考えたことが、今回のコース設定の最初だったと思います。
 

(ちなみにアダルトビデオコーナーにも足を踏み入れてみましたが、高級そうな木の棚に並んだそれはものすごく場違いに見えました。これも色々話せることはありそう。)

 帰り道、 @sugar_thought の話していた「最先端の都市は、人々の『こうやって生きたい・暮らしたい』という思いを先取りする」もの、という言葉が印象的。商業施設や住居、その他の建築も、「こんなふうな生き方がある」とライフスタイルを人に提示することが出来る。それは他の芸術と共通する機能と言えるのではないか。そんなわけで、有名建築を巡る、という方向ではなく、「都市」を見よう、というアイディアが入ってきて、以下のコースが決定される。 

 ①有名建築コース 渋谷→表参道  
 ②最先端・東京中心の職住近接都市 六本木周辺
 ③計画都市 新浦安周辺
 
 ★ ★ ★ ★ ★

 ●①渋谷→表参道

 みんな遅れるだろうと集合時間を遅め11時に設定したのに、渋谷に向かう電車の中で僕のケイタイは「遅刻しますー><」のメールでぶるぶる震えっぱなし。しかし連絡先の確認や集合場所をうまく決めなかった段取の悪さは僕の責任。「東大芸術ゼミ」と書かれたプラカードを掲げながら「うわー、なんだかサークル活動みたいー」とつぶやくと「今まで何のつもりだったんですか?」と突っ込みが入る。
 「10人超えたらどうしようねー」などと話していたのが、当日の参加者はなんと述べ15人。あちこちでエレベーターに乗り切れないのを見てその多さに本当に驚く。ゴールデンウィークのお忙しい中お集まりいただき本当にありがとうございました。

 前日までの雨模様が嘘のように快晴。初夏と言ってもいい暑さで半袖姿の芸術ゼミメンバー。15人もいると自己紹介も誰が誰だか分からずに、初対面の人も沢山のどこか気まずい空気は予想していたもの。その雰囲気を一気に変える仕掛けがこの集合場所、渋谷ハチ公改札口。
 「さて、みなさんはもう、今日最初の『建築』の前にいます」と思惑ありげに上を指す。

 ◆1:渋谷駅ハチ公改札ファサードファサード=建物の正面部分。建物の顔としての役割をもつ) 設計:隈研吾 2003 

 薄い青の半透明なガラスに、渋谷の空の雲(実際に撮影したそうだ)がプリントされている。そのまま貼り付けたのではなくて、ジグゾーパズルのようにバラバラに解体して並べたのだそう。表参道のビルは特にだったけれど、「建物のガラスに付近の景色が映りこむ」というのが大きなテーマになっていた。表参道だと、街路にケヤキの並木があるので良く分かるのだけど、ガラス面のビルは回りの風景によって見え方が変わってくる。この場所だと、ひとつのガラス面に沢山のものが映って見える。ガラスの向こう側の通行者、プリントされた雲と、本当の渋谷の空とそこの雲。
 隈さんの講義を何度か拝聴したのだけれど、「負ける建築」という本を書いていて、それは周囲の環境に「負ける」もの。風景の中に建築を溶かし込む、というような意図。このパネルもそこに繋がっていくのかも。

 何よりも、特に東大生はいつも使ってる渋谷駅の真正面、こんなところにも「建築」があるんだなー、という驚きがある。建築を見るということの楽しみのひとつが、普段気にせず通り過ぎてしまうもの、つまりは「見えていなかった」ものが見えるようになること。これは他の芸術と完全に同じだと思います。

(「実はね、このファサード、もう一つ泣けるストーリーがあるんよ」「なになに?」「正面に何がある?そう、ハチ公像だ!」「それが?」「優しい隈先生は、せめてハチ公にガラスを通してご主人のいる空の向こうを見せてやろうとしたのさ」「そんなわけあるか!」)


 (みんな驚いただろう(ドヤ)と得意顔を向けると、「へぇー、なるほど」と思ったよりも冷静なリアクション。気張っていた自分は肩透かしをくらったのだけど、早速活発な会話があちこちで起こってたのでよしとするか。「それでは、出発しまーす」とプラカードを振ると気分はツアーガイド。100メートルも歩かないうちにストップすると、見上げるのが

 ◆2:渋谷ヒカリエ 日建設計, 東急設計コンサルタント 2012

 オープンしたての商業+文化施設。8階より上にはギャラリーとミュージカル・シアターを設置。この間中に入ったときは、内装は色々凝ってはいたけれど、これまでのものとそこまで変わらない……という感じ。ギャラリー階はガラスによるオープンな感じと芝生が目を引いていた。
 それよりもこの概観。目を引くのは下のほうの円盤状の部分。昔のSFの宇宙船を思い出す。ビルの脇を電車が通っていくのも近未来映画の都市の風景みたいで楽しい。「様々な小さなパーツの組み合わせ」をコンセプトにする「メタボリズム」という建築理論とも関係する?……かどうかは僕には良く分かりません。後でその代表作が出てくる、とアナウンスしながら先へ進む。
 付け加えると、このヒカリエの概観も、「渋谷の顔・ランドマーク」として、渋谷という町のイメージのひとつになるだろう。六本木ヒルズを考えると分かるけれど、大きな建築物はその街のイメージを決める存在にもなる。

 さて、青山学院大学にむかって坂を昇っていく。郵便局ビルの窓ガラスが面白い……など、チェックしていなかったビルについても話したり、隣り合って歩く、というのは教室で話すよりも会話がしやすいのかも、という発見。面白い話を全員でシェアできないのが残念……だからこうしてみんなもブログなり書いてくださいね?

(「はじめまして。僕、ヒカリエだよ。みんなに会えて嬉しいな!(裏声)」「何?そういうノリなの、今日?いや、そういうのいいから」「うわ、むっちゃ冷たい視線受けたー」)

 坂を上りきると、重厚なこの建物に目をひきつけられる。

 ◆3:国連大学ビル 設計:丹下健三 1992

 僕は隈先生の講義を二度受けたのだけれど、そこで言われてたのが「戦後日本の建築家には4つの世代がある」ということ。渋谷→表参道のコースはその4世代を全部見ることが出来てよい。その第一世代の旗手がこの人、「世界のタンゲ」新宿新都庁、お台場のフジテレビ、と誰もが知ってる建築物を建てているけれど、当時の代表作と言えば代々木体育館。「威風堂々」と紹介したけれど、重厚で、どっしりしてて、パワー溢れる感じ。この体育館なんかは、東京オリンピックに向けて「国の威信をかけて」建てられたもの。日本の敗戦後の復興、経済成長期と重なって、「日本はやれますよ!」というのを国内にも国外にも知らしめる、そうした「力強い」イメージが必要な時期に活躍した人。一方では広島の広島平和記念資料館を設計したり、また多くの弟子を送り出したとっても重要な人物でもある。東大の本部庁舎も設計。

 ここでの意見も色々面白くて、「お城みたい」と言う人もあれば「ディティールはギリシャの神殿のよう」とか「ピラミッドに見える」というイメージから、横の稼動しそうなぶっとい鉄柱にも色々意見が出る。「何かあるときはロボットに変形して……」と言いたくなるのもお約束。

 も一個追記すると、丹下さんは岡本太郎と「伝統論争」なるもので争ったらしい。日本人のルーツは縄文(岡本)にあるか、弥生(丹下)にあるか、で争ったらしく、この国連大学ビルのすぐ隣、子どもの城の前に岡本の立体作品があるのはちょっと皮肉なのかも。

(「中庭の方入ってくと、なぞの小ピラミッドがあるんだよな」「変形ロボになって地球を守ります」「丹下建築は全部ロボだからね」「12話くらいまで進むと、強敵が出てきて、代々木体育館が飛んできて合体する」「そうそう、スカイタワーは剣になるから」)

 ◆4:AO青山 株式会社日本設計 2009年

 なにやら不思議な形をしたビル。斜めに削り取ったような概観は、下から見ると不思議な風景だったけれど、このビルの面白いのは、見る方向によって全然違うように見えること。後で表参道に行ったとき、ルイ・ヴィトンビルの上から見ると「くさびを地面に突き立てたみたい」に見えたり、他の場所からはまた違うシルエットに見えたり、と面白い。照明に凝ってるという記述もあったので夜に行っても楽しそう。
 後の六本木ヒルズのところで「ランドマーク」ということを書くと思うけれど、これも周囲から突き出てるので、とっても目立つビル。もしかしたら、このビルの見え方によって、自分のいる位置が分かる、なんてことがあるかも。

(「青山で『あお』う、って意味らしいよ、このビルの名前」「ダジャレかい!」「正直エウレカセブンの続編しか思い出せませんでした」)

 ◆5:青山スパイラル 槇文彦 1985

 なにやらどころではなく不思議な形のビル。積み木をバラバラにくみ上げたような、という印象が実は構想とも見合っているみたいで、「ミニマリズム」という芸術のムーブメントと関連しているみたい。中に入ってみるとますます不思議で、奥の広場はらせん状のスロープを通って上の階に上がるようになっている。
 「槇さんの建築は、両側をガラスで挟むんだよ」と建築学の学生である参加者の一人が教えてくれる。入り口から奥の螺旋のスペースに光が降り注いでいるのが見通せる。こういう、入り口と一番奥を繋ぐ・空洞にする、という設計はあちこちで見た気がする。
 その設計者は第二世代を代表する一人、槇文彦。第一世代の丹下健三の作品に対して「人間的」な建築を目指した、と言われている。この人間的、というのは言葉通りではなくて、丹下さんの「工業的」「機械的」なイメージと対比してのものだろう。ミニマリズム・ダンスが、人間の身体をバラバラに区切って動かす、ということを思い出すと、スパイラルも、円・球・立方体といったシンプルな形の組み合わせであることにつながる。
 
(「ところで「まきしゃん」と呼びたくなってしまうのはなぜか」「wikiの写真がとてもお優しそうですね」「ちなみに芸ゼミメンバーは、上の方まで上ろうとエレベーターに乗り込みましたが、どこもお呼びでない、という空気だったため、一階づつ下っていって、結局下まで戻ってきた、という笑い話があります」「スパイラルのスパイ失敗……」)


 ◆6:看護協会ビル 黒川紀章 2004

 第二世代の代表のもう一人黒川紀章の設計。『新建築ウォッチング』によれば、禅の思想に基づき「○」「△」「□」によって宇宙の根源を表現するとか。まあそれを知らずとも、正面のでっかい吹き抜けが、直線の表参道に窓を開けたようで向こうの青空がまぶしく見えるのは楽しい。夕暮れが差し込むように出来てるそうなので、その時間も見てみたいところ。
 追記しておくと、黒川さんを中心に、第二世代の建築家たちの間にメタボリズムという理論・ムーブメントが起こりました。建築物に「新陳代謝」の機能を備えさせて、古くなったところはどんどん交換して新しくなっていく……という考えが元。一番の代表作はこれも黒川さんの「中銀カプセルビル」その思想を表すのは都市計画の模型など。これはかなり芸術・アート、というのに近づいてます。詳しくは電子辞書やwikiをご参照下さい。

 ついでに、この周辺にはないのだけれど磯崎新さんがもう一人の第二世代の代表。この人は、機能主義に傾いていた建築に「美しさ」を取り戻そう、ということで色々と言説・論戦を張った人。読んでないので僕もよく知らないのですが、隈先生は「建築における「日本的」なもの」という本をお勧めしてました。千夜千冊でも取り上げられているみたい。

(「看護協会っていうけど、絶対イメージ出来ないよな」「じゃあどんなのならいいの?」「ナースキャップの形してるとかさぁ」「小学生の発想だな……ちなみに当日は看護週間とかで、人工呼吸のレッスンをやってました」「最近の人工呼吸ってチューするな、って教えるんでしょ?何が面白いんだか」「やかましい。緊急事態に面白いとか関係ないだろ」)

 ◆7:表参道TOD'S 伊東豊雄 2004

 さて、ここで第三世代へ。第二世代はなんといってもバブル期までで、何度か傾いだりもしたけれど基本的には「お金があった」時代。日本経済は全体でみれば上り坂で建築物もバンバンと作られていた。ところがバブルがはじけて、不祥事もあって、特に不動産と関連していた建築は下り坂へ。その中で色々と新しい考えが出てきたみたいです。第四世代との違いは「公共建築が少なくなった」結果「海外の仕事が多くなった」ことですが、コンセプトの新しさはもう現代のものと変わらないように思える。 
 TOD'Sの設計は伊東豊雄「ガラスの人」といわれたり、「ベジタル=植物的」と言われたりするそう。見ての通り、まるで樹の枝みたいな概観です。それから、ガラスに並木が映りこんでいることで、二つの樹が交互になる。これに加えて、通常ではコンクリートが前に出っぱってて、ガラスの面が内側にはめてある、というのが普通なのですが、このビルではガラスとコンクリートの壁面が同一面上にある。これもとっても斬新だったらしい。
 
 参加者の一人がこの伊東さんの代表作「仙台メディアテークの話をして下さいました。「12本のチューブ」が建物を通っていて、そこに空からの光が、最上階から地下まで一直線に差し込む、というもの。また柱を使っていないビル、ということも(TOD'Sもそうらしい)面白くて、こちらは樹と言うより「草」を編んで作ってるように感じました。

 あと @sugar_thought も色々話してくれたのですが複雑な話だったので本人が書いてくれたらこの ↓ あたりに乗せます。

 第三世代には安藤忠雄さんというこれまた特徴的な建築家がいるのですが、それはちょっとおいといて後ほど。

(「ベジタルって、ベジタブルとデジタルの合成語?」「知らんがな」「それにしても、これ立てるほうは本当面倒だっただろうね。あのちっちゃいガラスだけ割れたら取り替えるのとか超めんどいんじゃね?石投げてみようか?」「やめなさい」)

 ◆8:ルイ・ヴィトン 青木 淳 Eric Carlson、Aurelio Clementi 2003

 設計者の青木淳さんは、磯崎新事務所に長くいたそうなので、世代別に分ければ第二か第三に入るのだろうか?この分け方はおそらく隈先生のものなので、あまり縛りを気にする必要もないのだけれど。ここは建築散歩でもハイライトの一つ。まず概観が網のようなもので覆われているのに、ちゃんとその向こうのガラスにケヤキが映りこんでるのが不思議。近寄ってよく見ると、なんと鉄のワイヤーで「すだれ」を作っていることがわかる。その向こうをすかしてみると、ルイヴィトンのバッグの「市松模様」も見える。すだれを通すと「和」の雰囲気にも……ダブル・ミーニングというのは考え過ぎ?
 ここでも建築学の学生さんから、「トランクを積み上げている」というモチーフの解説をしていただく。四角いカバンのモチーフが楽しいです。ガラス=透明感のあるビルが続く中、黒一色になっているのも存在感がある。中に入ってみると、エレベーターホールは寄木細工を思わせる木の壁と天井。木が高級感を感じさせる、ということについては色々考えることがある。
 こちらの最上階はギャラリーになっていて、芸術ゼミは十数名で押しかけて、係員さんをびびらせていましたとさ。ここは天井が高く、周囲がガラスになっているスペースで、ホワイトキューブ(周り四面を白い壁で囲まれてる部屋)とは展示したときの印象がまるで違う。建築は芸術作品に影響する、ということを強く思わせます。

(「ギャラリーでは芸ゼミメンバーがあーでもない、こーでもない、と作品の議論を始めて、店員さんを困らせてました」「そういやみんな男性で、白い手袋してたよね、なんかものものしかった」「迷惑だっただろあれ」「いやむしろ周りにいた人に色々考えさせてプラスになってたって」「あそこの人たちってやっぱり作品についてしっかり勉強してるんだろね」「ヴィトンに就職して芸術を学ぼう!」)


 ◆9:東急プラザ 表参道原宿 NAP建築設計事務所中村拓志) 2012

 
 こちらもオープンしたて、2012年の建築。 @sugar_thought が「ラスボスのいるダンジョン」と形容する、洞窟を思わせる鏡の入り口のインパクトは他に無い。エスカレーターで上っていくと、自分も他の客も原宿を歩く歩行者の人々も目に入って不思議。とりあえず通りがかったら一度は上ってしまう「体験」を用意する。ちょっとあざとい感じはあるけれど話題性は最高、名物スポットになるでしょう。屋上には「おもはらの森」=空中庭園が。段々に使われてる六角形のピースがちょうど一人が腰掛けられるヒューマン・スケールの設計だ、という建築学の視点も。
 この屋上からは、これまで通ってきた国連ビル、ヒカリエ、AO青山、さらには代々木体育館や新宿都庁も見えて、付近の建築を一望するのに最適です。森タワーも見えたかな……この「おもはらの森」のほか、ビルにはオープンテラスなど「外」と「中」を繋ぐ場面が意識して作られているそう。こうした感覚は最近の傾向らしい。

(「ぶっちゃけファイナルファンタジーのBGMが頭に鳴り響いてたわ」「俺ロマサガ」「ボス線ラッシュって感じだったね」「屋上庭園は格好のデートスポットだよね」「子どもの日だったからカップルより子供連れが多かったけどな」「向かいにラフォーレがあるから財布の紐はしっかり締めて」「この辺みんなそんなのばっかりじゃん」)

 ◆10:表参道ヒルズ同潤会安藤忠雄建築研究所・森ビル 2006

 森ビルの取締役の方曰く「200メートルのビルを横に倒してちょこっと地面に埋めた感じ」とのこと、中に入って吹き抜けをのぞいてみるとなんともはや不思議な多角形の建築。それより面白いと思ったのは、「坂道」が建物の中に取り入れられていること。僕はこれによって、建物の中も擬似的なストリート=街路になってる、などと感じるのですがどうでしょう。裏原かどこかの坂道を歩きながら、小さなショップを見て回ってるような気分になれる。もちろんベビーカートにも優しい。青山スパイラルもそうでしたが、「階段のない建築」というのは階の関係をあいまいにする機能があります。これはあとのフロムファーストビルでも再び登場。


 一番端っこについてるクリーム色のビルは、元々ここにあった「同潤会アパート」の名残。同潤会というのは、wikiを見てもらうのがきっと一番いいと思うのだけど、関東大震災の復興のための都市計画。売店・談話室、音楽室などを備え、医者・教育設備を近くに配置した場所もあり、都市計画の先駆けとなった場所。この後の六本木ヒルズや新浦安のコミュニティの話とも深く結びついている。今はギャラリーになってて最上階では草間さんの水玉グッズが売ってるショップも。

(「そういえば、表参道ヒルズに居住スペースないの?って話出てたよね」「ありました!」「お値段は?」「一番安いので月70万!広いところは120万!」「高杉ワロタwww」)

 ◆11:one表参道 隈研吾 2003

 またもや隈先生の設計。なにやら茶色い板が突き出ているのは、カラマツ。木製のブラインドか、すだれを思い出す。ルイヴィトンビルもそうだったけど、このすだれ式の「正面からなら見える」とか「内側からなら見える」みたいな様式は、日本の昔ながらの建築様式を思い出して楽しくなる。カラマツの「ざらざらした感触」は、『新建築ウォッチング』によると、これもやはり同潤会アパートの壁面へのオマージュなのだそう。

 ひとつ付け加えると、丹下健三ハナエモリビルが現在取り壊しの最中なので、近いうちに、また新しい不思議な建築が表参道に加わることでしょう。この並びは夜はまた違う風景を見せてくれる、とのことなので、いつかぼんやりと散歩できたらと思います。

(「同潤会には、大塚女子アパート、ってのがあって、そこは当時の「職業夫人」働く女性たちのあこがれだったんだって。共有スペースにはピアノとミシン。食料品店だけでなくフルーツパーラーも併置」「80年も前なのに、現代でも通用しそう……」)

 ◆12:プラダ・ブティック青山店 ヘルツォーク&ド・ムーロン 2003

 さて、駅まで引き返して反対側へ。文句なしに、見た瞬間に「これ、スゲーっ!」となるのがこちら。『新建築ウォッチング』では「圧倒的なガラスの塊」との表現がされる、「絵に描いたような」ビル。ひし形は、僕は皮のバッグの表面を思い浮かべていました。もう一つすごいのは、このビル、ちょっと離れたところにある何も描かれてないなぞの地下通路から中に入れること。大きなガラスの自動ドアが開くのにも歓声を上げてしまう。「体験」も提供してくれるオモシロビル。

 ついでにその隣、カルティエのビルも、イカダのようなへんてこな概観も面白いけれど、二つの建物の間にレンガと街頭の「街路」を出現させているのが楽しい。風景を作るビル。その隣のヨックモックのビルも青いレンガが綺麗。

(「この外観、どう見ても厨二ですありがとうございます」「黙れ」「ぼくのかんがえたさいきょうのけんちく」「黙れ」)

 ◆13:フロムファースト 山下和正 1976

 通りの終わりには2つの迷宮のような建築物が。一つ目はレンガ造りのこの建物。中に入ると、小さなスケールのヨーロッパの町の中に入り込んだような、独特の空間。これも参加者の一人から色々とお話を伺うことが出来ました。
「商業施設と住居を一つの建物の中に並存させる建築の先駆け」
「細かく階段を区切って、一階、中二階、二階、中三階……というように、階の区切りがあいまいになっている。これによって、商業施設と住居や事務所との境目もあいまいになる」
 これは上で書いた表参道の坂道とも通じる点。
「一つとして同じ風景が無い。迷宮のようだけれど、実はシンメトリーになっている部分もある。様々な建築の規範、コードを使っているのだけど、それを組み合わせているからこうした不思議な風景になる」
「実はこの建築の中で、商業以外の緑は中央の1本の木だけ。それなのに、あらゆるところからその木が見えるように工夫しているから、あちこちに緑があるように見える」
 ほかにも様々な工夫がたくさんあるそう。また最上階付近は突然青空が広がって、辺りが見渡せる眺望スポットでもあります。芸ゼミメンバーは上ったり下ったり、子どものように大はしゃぎしていました。十数名がそんな感じだとさすがにうるさい。しかしそうさせる魔力がある。

(「中央の広場に集まると、なんかどこまでもそのレンガの町並みが続いてくような気になるんだよね」「みんなでそこに集まって「全ての道はローマに通ず。わっはっは」とか言ってました」「子どもかよ」)

 ◆14:コレツィオーネ 安藤忠雄 1989

 フロムファーストが「ワンダーランド」なら、こちらは「ダンジョン」という感じの迷宮。設計の安藤忠雄さんは第三世代の代表の一人にして飛び切りの変り種。壁を十字に切り取る「光の教会」、寝室に行く際中庭を通らなくてはいけないので、雨の日は傘をささなければならない、という不便利、しかしそれを楽しむ「住吉の長屋」コンクリートで作られた仏教建築「本福寺水御堂」と、唯一無二の建築を見せてくれる。関西圏に著名な建築が多く、東京の代表はこの建物。@sugar_thought「拒む建築」と勝手に名づけた建物は、商業施設とは思えないような複雑さで、行き止まりはあるし、高い壁は威圧感満点だし、きついカーブはフロムファーストと違って見通しが悪く、自分がどこにいるのか分からなくなる。まさに迷宮。
 「建築の教科書」には、コルビュジエの「光の建築」に引かれながらも、自分の中には日本的というのか、闇に向かっていく部分がある。それが出たのがこの建物、という本人の解説が載っている。迷ってみるのが本当の楽しみかたなのかも。

(「上に行くほど狭まってる謎の階段があって、芸ゼミメンバーが「遠近法〜」とか言って写真とってたね」「この芸ゼミ、はしゃぎすぎである」)

 ◆15:根津美術館アプローチ隈研吾 2009

 青山エリアの最後を飾るのはここ。本当は上野の「美術館建築」も見て回りたかったのだけど断念。おそらくそこで話題に出来るのが、「儀礼的」な建築。一番最初に教会の「神聖さ」の話しを書いた。芸術ゼミでも以前取り上げたけれど、過去の教会の役割の一部が、現在では美術館に委譲されている、と捉えることが出来る。芸術家という「創造」を行うものの奇蹟を見ることの出来る神殿。人は礼拝のようにそこを訪れる。
 そうだとすると、美術館建築の役割はそうした神聖さを感じさせ、厳かな気持ちにさせる、という機能が考えられる。このアプローチは、歩くときに常に視界に竹の壁が目に入る、素敵な視覚効果。入り口を交差点からわざと遠ざけたのは、この道を通らせるためだろう。プラダの洞窟のような入り口で「体験」の話をしたけれど、ここでもそこに通じるものがある。むしろボーナスステージのディズニーランドと関連付けるのが正しいかも。
 あるいは、日本的なイメージなので、日本庭園の道、枯山水や茶室に入るときのにじり口のような、心を静かにさせる道筋と考えるといいのかもしれない。

(「隈研吾さんの「くまてんてー」と呼びたくなる力は異常」「それより『けいおん!』のOPのMADで各世代の建築家を紹介する『けんちく!』という動画をだな」「そういえば唯の家をCADで作ってる人いたね」「オタクは自宅を建てるときアニメに登場した家を依頼しそう」)