樋上亮ライブ@渋谷ROOTS

 小学校からの友人、色々なバンド・活動を共にした樋上亮の復活ライブ@渋谷ROOTS。「5年ぶり」という言葉に驚いて、最後に見たときが思い出せないことに気がつく。5年と言えば、自分の執筆2年 + 受験勉強2年 + 大学での1年間と重なる。結婚式に出席したことやら、色々と思い出しているとどんどん歳を取ってしまうようなのでやめよう。


 そうは言っても、強烈なノスタルジーを感じて、主観的にしか見られない(聞けない)ライブだった。ギターの音・プレイにこんなにもその人の個性というか色があったんだな、と改めて感じる。フレーズにも音にもビブラートのかけ方にまで懐かしさを感じていました。
  
 ライブ前のDJのビートの強い音楽のせいもあって、サンプラーから音が流れてくると周りの空気が一変するように感じる。最初はギターの主張が少なく、進むに連れてバックトラックと混ざりあっていく感じ。音楽を主張するイメージを持つ「ライブ」という言葉だけど、それとは違って場所を音で満たしていく。ステージの上ではないから、周りはざわざわし続けていて、それが少しうるさくも感じていたのだけれど、時々目を閉じて聞いてみると、場所柄のせいか渋谷の雑踏の中で聞いているような気にさせられる。周囲の会話と音楽が強く混ざり合っているのを感じていると、(使い方が間違っているのかもしれないけど)「アンビエント・ミュージック」という言葉が分かるような気がしていた。音楽と雑踏、どちらが主でも従でもなく、二つが合わさって一つの音楽になっていく。会話や身体を揺らす緩急にあわせて、音楽もリズムが消えていったり、また戻ってきたり。


 かといってビート・主張が全く無いのかと言えばそういうわけではなく、ラストの2曲は盛り上げてくれる。ラスト1曲前(かな?)はギターのサステインに身体を引き込まれるように聞く。最後の曲では、低くて重たい、質感のあるバックトラックの音の塊と、高くて細いギターの音の線が、単に音としてだけではなく、触れるような、質量のあるようなイメージを体験させてくれた。

 
 渋谷駅まで歩く途中、逆に雑踏がライブの音楽を思い出させる。一緒に聴きに行った友人の一人は、「まだ音が耳に残っている」と話していました。また他の友人は「やりたいことはもっと壮大なんだろうね」と一言。僕もその言葉と同感で、沢山の可能性を感じました。この先の活動を楽しみにさせてくれる最高のライブでした。次回も、次々回も、その次も行きたい。

 樋上亮の音源はこちら: http://soundcloud.com/ryo-hinoue