東大芸術ゼミ「芸術とテクノロジー」回ノート
●七度文庫(自動官能小説作成装置)
Q:偶然性?
A:要素×要素×要素…の組み合わせで作っている。
→シュルレアリスム:「優美なる屍骸」は完全な偶然だが →文章の傾向を予測、自然になるように工夫がある。
→人間が自動的に頭の中で修正することを期待
→かん喩を使う
→「官能小説」の芸術性? 機械で作られてしまうのだとしたら、それはどこへ行くか?
→美術(自動ポロック)、音楽の自動作成…が出てきたとき、芸術性は?
→コンピューター同士の将棋の対決 →人間ではないとわかる部分がある。
●人間にしかできないことは?
→リヴァイズ…出版した後の手直しができる。
→構成主義への批判 →さらに「意識的構成主義」=文脈を持った構成主義。
→PCは結局、「入れたものしか出さない」=枠が必ずできる。
→人間は主張を持っている? →これもテクスト解析を考えると、意味を持たせられるのでは?
●漢詩を作るときも組み合わせ
→ある規則を持ったリストがある。実際にそれを調べるプロセスを人間がやっている。
→短詩は無理? →泉鏡花の文章を全部入れて、自動生成をやってみても、もう一作新しいものができると思えない…
→人間が「偽作」を作るときは?
→「この人の作品だな!」と思う部分は文体?単語などではない。
●初音ミク ⇔ 七度文庫
・二つの共通点として、人間が作るものとはまったく違うものができる、という可能性。
→シュルレアリスムに近づいていく。
・人力とは違う点:キーワードを入力していけば、後を自動で作ってくれる
(作品を作る補助として使う)
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・「人間を模倣したい」という欲望。「人間を模倣したものを簡単に作れないか?」という欲望が背景にある。
→「なぜ」模倣させたいのか?
→「人型」のロボットを作り続ける意味。
●芸術の歴史をロボットに負わせてみたい。
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はましゅんさん
・人間がスピーカーの役割をする。
・「記憶」
・方言=人間の記録を、一度人間の体を通して表現する。
・単に映像を記録するのではなく、情報を人間に戻す
→七度文庫と逆のプロセス? →機械=ビデオカメラにできる事を人間を用いて表現する。
・人間と映像との対話で、記録を半分「いま・ここ」に引き戻す
・カメラを向けてしまうと…
・メディアは事実を担保できるか?→どこまでいっても主観的になってしまう。例えビデオカメラを使っても。
→カメラ・ビデオカメラという装置を疑う。
→記述する装置として机を用いる →書くことを必要とする:カメラを向けることとは異なる記録が現れる。
→+影絵として、手や体が画面に映り込む
・カメラでは観念的になっていた話 → 紙に書いて常に視覚化していくことで、現実に近づく。
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?影:ドキュメンタリー・パフォーマンスは
?机:全員のまなざしがアクリル板に注がれている。目があってもない。
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Q:技術を忘れるって何?
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・完全な事実を目指して、挫折する過程。
・演劇、または落語との類似。
・「落語が本当にうまいと、後ろに風景が見える」それが具体化されたように思える。
・ブレヒト:ある人が自動車事故について語る→相手は「語られている自動車事故の風景を想像している」頭の中で風景を作っている。ピーターブルック。
・メイエルホリド:スタニスラフスキーの弟子。
→スタ:戯曲を1800年代の状況が書かれている→自分に当てはめて考える。メソッド、自分がなるべく近い状況へと近づける。客観。
→メイ:脚本を、個人の記憶として追体験できるところまで読み込む。主観を許す。
・歌、踊りのようなものが立ち上がるのではないか?
・インセンティブ=笛を吹く。
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・「懐かしい未来」
・青いバラ=芸術の「ありえないことの提示」の機能 →実際にありえないものでなくなってしまう。
・身体の拡張=
・聴覚による麻薬体験:色による麻薬体験:
・テクノロジーを作品に利用 ex)遺伝子技術を使って→青いバラを使う
・脳神経科学から「芸術がどのように受け取られているか」を見る
生物学的な基盤(精神世界??)がある。
ex)まったく音楽を聴いたことのない人も、「長調は楽しく、短調は悲しく」聞こえる
・催眠
・感覚の仕組み
・麻薬
・禅
・トリップ・トランスする体験
・ソースは人間だが、それを規則化するのがテクノロジー
・物理的/知覚