芸術ゼミ「演劇」回 ノート

チェルフィッチュ 「フリータイム」の冒頭を見て

感想1
・ビデオと観客で感じ方がぜんぜん異なるだろう。
・さまざまなものが「ずれている」と感じている。舞台、言葉、しぐさ。

感想2
・ほかのジャンルと比べたときに「さっぱりわからない性」が高いように感じる。「総合よくわかんない性」が強く感じる。(それは演劇の総合芸術、ということがあるかもしれませんね)
・役者の動き方が気持ち悪い。

感想3
・相手=観客と目が合わない、合わせられない。そわそわしている感じがある。動き方もあって、排除されているように感じてしまう。そもそもその形式がとっつきにくいように思う。

感想4
カミュの異邦人で、弁護士が弁護するときに「私は」と第一人称で弁護することを思い出した。(「弁護」というキーワードが面白い)
・むしろ違和感がない、と感じる。自分の周りでこうした会話があるように感じる。
・中に混ぜてほしいと感じる。

感想5
・台詞に「。」がないまま、ダラダラと流れてしまっている。全員が同じようなしゃべり方をする。「あるある」と「ねーよ」の間をずっと漂っているような。
・「最初、死んでいる人たちのように見えてくる」

感想6
・日記の中で「。」が消費されているから、登場しない。
・話し手の話があまりに日常的。○は循環している。どこまでも終わらない。

感想7
・劇が「しれっ」と始まる=劇の空間、空気、雰囲気を作ろうとしていない。

感想8
・人称が変わっていく・・・ベケット「ノットアイ」でも、興奮した女の人が話すときと共通。
・発声が演劇的ではない。マイクを使って話している→マイクという非日常が逆に日常っぽさを出している。

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『日本の現代演劇』

■1980年代:野田秀樹に象徴される:「絶叫」=演劇的な発声、動きを用いる。
■1990年代:「静かな劇」  :普段会話しているような感じを用いる。
       :「物語への回帰」:野田秀樹は物語ではないの?パフォーマンス的な部分にフォーカスされていたが、より物語にそれを当てていこう。

●静かな演劇 →平田オリザ,宮沢章夫,岩松了
●物語への回帰 →ケラ,三谷幸喜

■2000年代:
・2004「三月の五日間」チェルフィッチュ岡田利規 で演劇が変わった。
 ・「静かな演劇」の流れは汲んでいる。
 ・ブレヒトの影響
 ・コンテンポラリー・ダンスからの影響

Q:静かな演劇、オリザから何が変わった?
A:視覚的になったこと。オリザは「テクスト中心主義」の中にある。一見すると、劇からはみ出してはいないように見える。
  コンテンポラリー:台詞だけで表現しえないものを表現しようとしている。
  
●テクスト中心主義?
・物語を舞台空間の中で再現することが目的
 →「でも、物語を再現することなんて無理だ」
  →「舞台空間で出来ることをやりたい」

・「物語に付随するのが役、舞台に付随するのが役者」
 →「役が役者に表れるのは無理」

・戯曲・演出よりも「言葉」を重視した。戯曲や演出家が、役者、その肉体の上にあるのがおかしい。
・モノローグ、伝聞形式。入れ子になっている。


感想1
チェルフィッチュは、演劇を表現するより体験させる。メッセージ→共感。境界を消失させる。Aのことを語るBをCが表現する・・・役に色がない=誰にでも出来る=交換可能。
・机が埋まっていることも、ファジーにしていることで、境界を溶かしている。
・A→B→C→D・・・と次々にまわしていくことで、観客が自分のこととして感じ始めるのではないか。

感想2
・体のノイズ=身振りがずっと続く、というのはずっと異質な空間、問題提起が続いているかのよう。

感想3
・台詞を「が」を「を」に入れ替える、という点まで全部設計されている。


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②劇場の構図
・古代:円形劇場では、視線が中央に集まる→観客の視線を「エネルギー」と読みかえれば、エネルギーが集中していると言える。
・ほかの形が「対向型」メッセージを伝える・観客を均質化したいときに用いる。
・特殊型「道行型」 パレード 
 →ファッションショー=限定道行型=「スタートとゴールが見える」形になっている。

・頭のいいギリシャ人は「扇形」を発明した=「見られてはいけない部分を作った」ことが「最初の演出」といわれている。さらに半円形劇場へと変わっていく。

ギリシャ演劇
・儀式と対話
・コロスとオルケストラ:役者の変わりにコロスがいる。コロスはデュオニソスの使いであり、儀式的。観客のエネルギーを集め、コロスに増幅させ、「動物としての人」に戻り、神に近い存在になる。エネルギーを観客⇔コロスで循環させて神に近づいていく。

・コロスから役者へ。テスピスが役者を使い始める(一人)、アイスキュロスソフォクレスが複数名にして、「対話」が生まれる。劇の中で、観客にも自身との対話を求める(ギリシャ哲学も対話を重んじる)

・「オイディプス王」蜷川 → 鏡張りの舞台→向こう側にも自分の姿が映り込む→円形劇場のように見ることが出来る。

○ローマの劇場
ギリシャが丘に作ったのに対し、ローマは平地に作る。「マルケルス劇場」また壁で覆っている。

○聖史劇
・猥雑・卑俗なものとなる→カトリックによって演劇が禁止→聖書を戯曲として演劇が始まる。
・「マンション形式」最初は教会で行っていた → 回っていって物語を追っていく。
・布教のために、
・片側に良いもの、片側に悪いものを並べていた。
・「悪魔を教会の中でやるのはマズイから外に出ようぜ?」

・聖史劇が外へ。 →教会ではなく、町をあげてやりはじめる。
・仕掛け:地獄では滑車でユダを引っ張り込む。

・現代でもドイツ、オーバーアマガウの受難劇
 ★日本の九州の神道劇?

ルネサンスバロック劇場
・ヴィトルヴィウスの「建築十書」→マンションから舞台へ
・透視図法を利用した作り:リアリズム・合理性
・オペラ・バレエの登場

・テアトロ・オリンピコ
 →パースペクティブ
 →正面が一番優位=王様:正面の優位性が拡大していく。
・テアトロ・ファルネーゼ
 →客席の真ん中がぽっかり開いている 平土間=カンポ
 →額縁=プロセニアム・アーチを用意して、ひとつの絵画を見せているようにする=見られる場所を正面に限定する。
  →見たくないものを隠せる=「舞台転換」を可能にする。

○コメディア・デ・ラルテ =即興の仮面喜劇 と 宮廷スペクタクル
 →イタリア16世紀と、

○イタリアオペラ
・王が自分の権力を示すために演劇をやる
 →宗教の力を見せる。王と権威、王と聖なるもの。
ルイ14世=最初のバレエ・ダンサー

・大衆のための劇場:テアトロ・アラ・スカラ 重層化された桟敷劇
・劇団の収入を安定させる→ボックス席=息子に継がせることが出来る→批評家

多目的ホール=社交場としての役割:平土間

バロック劇場の解体
封建社会の劇場、見えにくさ→解体して、見えやすい劇場を作る。
ドレスデン国立オペラハウス,ベルリン国立劇場 まだ完全に変えることは出来なかった。

→近代プロセニアムステージ マジで変えようぜ。
・「劇場空間の均質化」=どこからでもよく見える。
バイロイト祝祭劇場ワーグナーによる
・オケピット

○ワーグナの総合芸術
・肉体、感情、悟性 →舞踊、音楽、詩 に対応する
 これを人間の手で融合し→自己の忘却へ
・舞台を離す=より客観的に見られるようにする。

○シュトルム・ヘーフェル
・技術者の視点から劇場改革
・舞台の間口の拡大
・視線の曖昧化 →箱舞台

イプセン
・近代リアリズム演劇の父
・三単一の原則 筋はひとつ、場所は一箇所、時間は一日
・「舞台の間口は4枚目の壁であれ」家の壁をひとつ取っ払って=そのままに見る。

○近代の技術
・クラニッヒ(舞台美術)舞台転換→「回り舞台」「ワゴンステージ」
  →劇場を根本的に変える。
  『現代の舞台技術』
アピア(照明)電気照明の利用 照明技術と演出の可能性を追う。



駒場で劇を見るに当たって:観劇の作法
○参考文献
レーマン『ポストドラマ演劇』
・パヴィス『上演の分析』


・役者の体:姿・形・服装 記号・アイコンとして見る。
・舞台の配置:視線の見え方
・役者の姿勢・仕草・態度→パントマイム 身体で音を出す。
・舞台上の移動「空間の占領」
・照明→他のパート,全体に関わる
 

・「どういう方法でやろうとしているか?」を捉える
 ex)クロスジャンル → ダンスによるオープニング
・方向性を捉える。方法によるメッセージ。テクスト以外が伝えようとしているもの
・テクストの使い方
・理論で見ることも必要だが、やはり「自分がどう考えるか?」も大事
・結末のあり方をよく考える。
・一枚の絵に関する批評を読んでみる。それを演劇の見方に応用する。