笠井叡×麿赤兒 ハヤサスラヒメ 速佐須良姫 感想

■序章〜第一楽章
・全くの沈黙の中で、舞台に一筋の光の道が描かれ、笠井と麿の二人がすれ違う/触れ違う。
コンテンポラリー・ダンスを見たのは多分3回目くらいだけど、笠井さんの動きは「舞踏」とも「コンテンポラリー」とも「オイリュトイミー」ともつかない、かといって「不思議」でもない、ほんと「自由型」という感じ。躍ってるときのオーラも自由さ溢れる。今まで見た人で比較するとブライアン・セッツァーに一番近い。
・今日の舞台に限らないのだけど、映像で観るのと生で舞台を見ることの大きな違いの一つだと思ったのが、演者が上を見上げたとき、生だとそこに空間が広がっていて、天だとか空が感じられるのだけど、映像だと枠が切り取られていてそこが見えない、ということがあるように感じた。細かいように聞こえるかもしれないけれど、大きな違いだと思いました。
・笠井さんがグワッ、と空を見上げると、照明の鉄骨しかないのに一緒に見上げてしまうの。

・呼びかけ「みなさーん!三途の川はもう渡りましたか?三途の川を渡るとき、川の底を覗き込んではいけません。光の方だけ見ていて下さい!」

・はい。

・視覚がおかしくなったように、麿・笠井二人の動きがスローモーションになったり、早回しになったように見える。これはとっても不思議な体験。


■第二楽章
ベートーヴェン『第九』が流れる中を、大駱駝館から4人、天使館から4人が出てきて躍る。多分きっと4人ずつなのは『第九』の歌手4パートを意識したものだろう。大駱駝館の4人は体中、顔を白く塗っていて、最初メモに「何かある目的のためのみに作られたような人間」などと書いてたけれど、想起させられるのは動物とか、人間の赤ん坊だった。あるいは「赤ん坊はとっても動物に近い存在」と考えれば似ているかもしれない。大駱駝館の4人の踊りには魅せられた。そのアンバランスな動きや、動物と人間を行ったり来たりする動き。自然の力強さと「おマヌケさ」が行ったり来たり。先取りすると、第三楽章で彼らが「すべって転ぶ」場面があるのだけど、おかしなことを言えば「あんなに美しい転倒は初めて見た」という感じ。しかも、全く悲愴感の無い転倒。それは赤ん坊がごろんと転がってそれさえも楽しくて笑い転げるようなもの。自分の体が全く自由に動かせないのに、それを悲観しない態度―これは動物にも通じるのだけど。

・それから天使館の4人が、今度は天上の軽やかさと、ギリシャ神話の力強さを両方持って登場。基準はバレエの優美さがあるんだけど、そこに武人が入り混じって、さらにギリシャに日本の強力(ごうりき)も入ってるような感じ。ニーチェ言うところの「アポロン」と「デュオニソス」の両面を持っているというところ。大体『第九』がそんな感じしません?バレエのようなジャンプをするのだけど、「重さ」ははっきり感じられて、こっちは色々な「調和」―天上の調和だけでなくて、天使―人間、軽さ―重さの調和がある感じ。

・それと、ここで、この舞台で一番美しいな、と思う一瞬があった。天使館の1人がふわっとジャンプして、体が弓なりになったその弧、これは言葉で説明は多分できないって気がする。「面白い」と思ってみていたけど、「美しい」を感じた瞬間に頭で考える方は吹っ飛んでしまう。そうはいっても、多分1〜2度感じられれば十分なのだと思う。そうじゃないと「昴」ボレロみたいにこっちが苦しむ。


■第三楽章
・笠井・麿がキッチュなドレスを着て表れてパ・ド・ドゥを始めるものだから会場大爆笑。いいですか?60代のじっちゃん二人組みがかたやコサージュつけたロングドレス、かたやピンクのチュチュにパープル靴下ですよ。それでもじっと見ているとときどき乙女に見えたりして、さらけ出された乳房にドキッとしてもう一度顔見るとジジイの顔(すみません)だったりするので楽しくて仕方がない。

・今回は全く毛色の異なる二つの団体、笠井さんの天使館と、麿赤児の大駱駝館のコラボレーション公演だったのだけど、見ていても絶対にありえない組み合わせだなー、と思わされる。目指しているものとか見せたいものとか全く違う。弦楽四重奏と3ピースのパンクバンドってくらい違う。それなのに二つの対比が信じられないくらいに対比され一つの絵に溶け合っている。なんか滅多に見られないものを見たという気になりました。

・ちょっと抽象的な話をすると、大駱駝館からは「動物」「赤子」「自然」みたいなモチーフを沢山感じていて、一方で天使館からはそれこそ「天使」「英雄」「光」といったモチーフ。ここのところひたすら本に出てくるテーマのせいか、「自然/動物 ⇔ 人間」という二区分が見えてくる。ところがそこには「人間が上に立つ」なんていうヒエラルキーが―最初ちょっと意識されていた気もしたけどどんどん崩れていって、ときに自然が逆転して、これらが入り混じって遊び始める。動物は地面に落ちて倒れて、死んだり、また生まれたりする。

・「動物は自らの死でさえも用いて遊ぶ」

・「天使と人と動物の遊びを、二人のアンドロギュヌス創世神が慈愛を持って見つめている」


■第四楽章

・「天使の王が動物に囲まれて躍る / 動物の王が天使を従えて躍る」

・歌が入るところで強烈なカタルシスがやってきて涙がこぼれる。残りはもうメモが取れませんでした。

・そういや『第九』は神の園に分け入る話だったなー、と思い出す。
・ハヤサスラヒメはアメノウズメノミコトに対置される存在。闇を光に変えた(天照大御神を呼び戻し夜→昼へ)に対し、光から闇、黄泉へと人を連れ戻す隠された神。

・三途の川はもう渡りましたか?