『小さき声のカノン』感想

予告編

「よじれた現実のただ中で子どもたちを心底守ろうとする母なるものの存在に私は未来をかけたい。原発事故後の世界を生きる母たちのしなやかさ、強さ、その揺らぎや弱さまで含めて、映画から感じていただきたいと願っています」
http://kamanaka.com/canon/about/ 『小さき声のカノン』ホームページより

あらすじ

 舞台は、福島原発から北西に50キロの位置にある二本松市。そこに暮らす母親と子どもたちに寄り添ったドキュメンタリー映画。「子どもの尿から高いベクレルが検出されて、なにかと思ったら牛乳でした」映画はある母親のそんな言葉から始まる。幼稚園の園庭には放射線量のメーター。放射能がごく当たり前となった日常を、画面のあちこちに見つけることが出来る。

 「福島に残る。ここで生きていく」そう決めた母親たちが集まって自然に出来たグループ「ハハレンジャー」では、お互いに勇気づけられたり、市の手の届かない除染も行うことが出来た。一方、甲状腺がんの検査を受けたり、子どもを一時期異なる地域に送って放射線量を下げる「保養」療法についても紹介される。そうした経験の中で、母親たちの意識も次第に変化していく。

 もう1つの舞台はベラルーシ。27年前のチェルノブイリ原発事故の影響は、今でもまだ続いている。福島と同じように、内部被曝を測り、保養を受ける子どもたち。そしてその子どもを守ろうとしてきた、「先輩」の母たちの姿も描かれる。

 科学的な見地や、原発反対のデモについてのシーンもあるけれど、この作品はまず何よりも「母親」の視線に関する映画だと感じる。様々な出来事を、母親たちの立ち位置、視点から見てほしい、そうした意志が感じられるドキュメンタリーだった。

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 ―で、アシタカはいきなり冒頭で呪われますよね。あれは一番最初で呪われることにすごく大きな意味がありますよね?
 宮崎「そうですね。不条理に呪われないと意味がないですよ。だって、アトピーになった少年とか、小児喘息になった子どもとか、エイズになったとか、そういうことはこれからますます増えるでしょう。不条理なものですよ」
 ―『風の帰る場所』宮崎駿

 僕が小児喘息になったのは5歳くらいで、ひどい時は週に3日くらい、夜中に発作を起こして呼吸困難に苦しんでた。病気にならなければ、僕という人間は全く、完全に別の人生を送ってたはずだ。病気と自分は切り離せない。
 
 僕の卒業論文は、「子どものコスモロジー」をテーマにした。サンタクロースとか「想像上の存在」が題材になったのだけど、最初の頃は「病気の子どものコスモロジー」を取り上げようとしてた。「医療人類学」って分野がある。患者はときどき、自分の病気を、そうだな、「運命」って呼んだり、何か特別なものとして位置づけたりすることがある。病気にかかる原因とかは説明出来るだろう。遺伝とか環境とか。でも、「なぜ、よりにもよってこの僕が? 他のみんなは健康なのに?」その問いに答えてくれるものはない。僕もこの問いを、何年もの間、呼吸困難でもうろうとしながら真夜中の空めがけて放り投げたものだった。答えは無かったけど、問いの残骸が中心になって、色んなことを考えた。ファンタジーに魅かれた理由のひとつもきっとここからだ。そこでは全てが必然的なものだから、僕が苦しんでいることにも確かな意味を与えてくれそうに見えた。

 卒量論文の話だった。僕は自分の経験から、慢性の病気とか、難病を経験した子どもは、世界の見方や、そこでの自分の位置づけ方が、健康な子どもとはちょっと違うんじゃないか、ということを考えたからだ。するとそこで、福島原発事故で被曝した子どもたちのことが浮かんできた。

 2011年の夏、気仙沼にボランティアに行って、子どもたちと一緒にキャンプをした。放射能のことはそれほど心配されてなかったけど、ガレキ撤去やらのトラックが街のあちこちを走ってたり、学校の校庭が使えなかったりで、あまり外に出られない子どもに一杯遊んでもらおう、という企画だった。復興の大変さはあったけれど、子ども達から暗い影は感じなかった。山を駆けて、釣りをして、お祭りごっこなんかもして、僕たちは目いっぱい遊んだ。

 その夏、福島に行く機会はなかったのだけど、合計で3週間ほど東北を訪れた。度々足を運んだのには、個人的理由もある。僕は子どもに向けた物語を書こうと思っている。現実世界とは全く異なるファンタジーの世界を描いた作品でも、児童文学は、いつでも現実と繋がっているものだと思える。そして、現実世界がファンタジーを侵食することも度々起こる。それは例えば、『はてしない物語』でファンタジー世界を覆う「虚無」が、実は現実世界の人間の「偽り」である、そんなイメージだ。

 「児童文学は、まだ児童文学でいられるんだろうか?」原発事故の後、テレビで延々と報道が続いて、多くの人が深刻に悩んでいた。今から観ると、それは「必要以上に」深刻だった、一種のパニックだった、と思われたりするけど、僕はそうなった個々人の体験は無駄なものではないと感じてる。僕も「児童文学はどうなるだろう」身の丈に会わないでかい問いを背負って、東北へ幾度も足を向けた。

 映画の中で、西日本に保養に来た子どもたちが、福島では出来ないことをする。後援で裸足になること、泥ダンゴを作って遊ぶこと。自然に触れ合うことが日常ではなくなっていることを見せられた。僕の卒論で、子ども達が「竜」や「魔女」のような想像上の存在に出会うのは、どれも自然の中だった。けれど今では自然は敵に見える。僕はずっと東京で育って、環境保護団体にいたこともあるくせに、実は「自然」というのにそこまで思いいれが無い。僕の愛する自然は、まず物語の中にあった。けれど、その物語の中に現実が忍び込んでくる。そんなことがどうして? 読者は現実に生きているから。物語はそれだけで独立しているのではないから。

 このドキュメンタリーは、何よりもまず「母親」に向けたものだと思う。福島の母親たち、東北の母親たち、東京の、他の地域の母親たち。逆に、そうでない人にとっては少し距離を感じるかもしれない。けれど僕は、それとは少し違って、「児童文学」という視点からこの映画を見に行ったのだと思う。

 もちろん、この映画から、子どもたちの内心が見えてくるなんてことはない。それは多分、直接捕まえられるようなものではないと思う。「子どもたちも、今自分がどんな状況にあるか、どこかで理解していると思う」あるシーンでの母親の言葉から、かすかに何かを感じるだけ。チェルノブイリ原発の近くで生まれ育った女の子は、生まれつき身体が弱く、病院に通っている。「けれど、この病気が私の人生を台無しにするようなものなんかじゃないって思ってる。病気があったからこそ、アクティブになったってこともあったもの」彼女の言葉に、喘息で苦しんでた頃の僕が共鳴するのを感じた。アシタカは呪われなければ、おそらく最後の決意にたどり着けなかった。

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 映画そのものを見れば、「子ども」というよりは「子どもを被曝から守ろうとする母親」に寄り添った作品だった。放射能、被曝、甲状腺がん内部被曝……様々な出来事に対して、どこまでも「母親の視点」に寄り添っていく。観客は、一度自分の視点を離れて、福島の母親たちの視線に、思考に、その主観から世界を眺めるように促される。

 メディアでもなんでも、原発放射線に関して、「客観的立場に立ってより正しい判断をすること」が求められてきていると思う。十分な知識と科学的根拠、デマには惑わされずに。不安、政治的な目的、疑心暗鬼のあまり、無根拠なデマを声高に叫ぶやつらがいる。専門家や医者だって単純に信用してはいけない。ベクレル、シーベルトといった語、数値に惑わされないこと。

 映画の中に登場する「甲状腺がんの増加」を1つ取っても、様々な意見と、専門家と、データがある。少し調べてみると、ドキュメンタリーでの描き方にも「偏り」がある、という批判が出来るようにも思う。そこにはまた議論があっても良い。けれど、僕がこの映画で重要に思う点は、それとは異なるところだった。

 母親にとっては、放射線よりも先に子どもがいる。まず子どもの未来があって、それを通して、放射線も被曝も理解されていく。子どもを脇に置いた「客観的視点」は、むしろ優先度が低い。それは時に危うく見えることもあるのだけど、決して「客観的=正しい」判断によって無条件に退けられるものではない。

 通学路をガイガーカウンターで測り、ある空き地の放射線量が高いことを見つける。そのときあるお母さんの口から、「これ、子どもが……」という言葉だけがこぼれ、あとは絶句する。そこまで、彼女の決意や思いをカメラは追いかけてきていた。言葉の後ろにある思いがスクリーンからあふれ出てくるようで、僕は打ちのめされる。最も印象に残ったシーンになった。

 このドキュメンタリーは、そうして、福島のお母さんたちの視点を借りて、世界を眺めさせてくれる。母親でもなく、福島にも住んでいない僕にとって、それこそが重要なこと。僕自身が、福島原発事故をどう考えて関わっていくか、と問われれば、やっぱりもっと勉強して、「客観的判断」をしたい、と答えるだろう。映画を見たあとで、読みたい本のリストアップを少し始めた。それでも、自分が勉強して獲得していく客観的判断が、常に「正しい」ものにならないこと。この映画のお母さんたちを思い出すたびに、きっとそれを感じるだろう。